仙台市: 諏訪神社

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概要・歴史・観光・見所
諏訪神社(仙台市)概要: 諏訪神社は宮城県仙台市青葉区上愛子に鎮座している神社で、創建は延暦年間(782〜806年)の頃と云われ、当時は御殿山山頂にあり山神社と称していました。文治年間(1185〜1190年)に行われた奥州合戦の際に源頼朝が当社を訪れ戦勝祈願し見事念願成就した事から神意に感謝し、家臣である伊沢家景に命じて信州諏訪大社(信濃国一宮:長野県)の分霊を勧請し、社殿を建立し社号を「諏訪社」に改めました。中世になると長く当地を支配した国分氏が篤く信仰し、康正3年(1457)に国分宗治と郷六九郎が現在地に遷座し社殿を造営、領地であるは国分荘33ヶ村の総鎮守として「国分一の宮」とも呼ばれるようになりました。その後も永禄2年(1559)に国分宗政や、国分宗元などが社殿を造営するなど庇護されていましたが、戦国時代に入ると伊達家が台頭した事で、大名家としての国分家は没落し、さらに、慶長元年(1596)に当時の当主国分盛重が出奔して佐竹氏に身を寄せたため、当地での国分氏支配は終焉しました。

諏訪神社は江戸時代に入ると仙台藩(藩庁:仙台城)伊達家の崇敬社となり、元和9年(1623)には初代藩主伊達政宗が社殿を再建し、寛永12年(1635)にも政宗が社殿(本殿、長床、石段)を改修しています。寛文3年(1663)には伊達家の家臣で当地の領主である茂庭定元が大願主となり仙台藩内の領民から広く浄財を募り社殿を修築、貞享2年(1685)には4代藩主伊達綱村が鳥居を寄進しています。古くから神仏習合しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により形式上は仏教色が一掃され明治7年(1874)に村社に列し、明治40年(1907)に供進社に指定されています。

現在の諏訪神社本殿は宝永2年(1705)に造営したものと推定されるもので、三間社流造、こけら葺、桁行15.3尺、梁間9.1尺、正面3間向拝付、向拝には「国分一宮 諏訪社」の扁額、外壁は真壁造板張り、内部は中宮・左宮・右宮に分かれ、それぞれ厨子が安置、覆屋が掛けられている為、全容は分かり難いですが隙間からは歴史を感じられる事が出来ます。諏訪神社本殿は江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から棟札12枚と共に昭和38年(1963)に宮城県指定有形文化財に指定されています。

諏訪神社境内には長床(神門:五間一戸)や釣鐘(切妻、銅板葺き、外壁は柱のみの吹き放し)など神仏混合の名残が濃く、神社内部には慶長年間(1596〜1615年)から明治初頭にあった朝日山妙台院の本尊不動明王像が祀られています。又、境内背後の高台は御殿館跡とされ、案内柱によると「この館は「仙台領古城書上」で(延宝年間1673〜1681年)にかつての野武士どもが立て籠った所とある。」とあります。祭神:建御名方命(※往時は中宮に白幡大神、左宮に黒鳩大神、右宮に禰度大神が祭られていたようです)。

諏訪神社:写真

諏訪神社境内正面に設けられた朱色の大鳥居と石造社号標
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諏訪神社参道沿いに設けられた鳥居と石燈篭群 諏訪神社参道石段から見上げた神社山門(長床) 諏訪神社本殿と覆い屋 諏訪神社境内に設けられた鐘楼と梵鐘
諏訪神社長床正面と吊り下げられた提灯 諏訪神社長床から見た本殿 諏訪神社境内にある石窟と石塔 諏訪神社境内背後の高台に築かれた御殿館跡


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