坪沼八幡神社(仙台市)概要: 坪沼八幡神社は宮城県仙台市太白区 坪沼字館前東に鎮座している神社で、平安時代後期に発生した前九年合戦(永承6年:1051年から康平5年:1062年の期間に行われた奥州の争乱。俘囚長だった安倍氏が朝廷に対して反乱を試み、鎮守府将軍に就任した源頼義が乱の鎮圧を図った。)の根添城攻防古戦場跡に建てられています。根添城は俘囚の長である安倍氏の拠点の1つで、丘陵を本丸、2の丸、3の丸の三段の平地を造り、南方を外堀、西北が断崖となっている要害な城で現在も土塁や空堀、郭の形状が見られる事から城郭だった事は間違いようです。
源頼義、義家親子も苦戦が続き、なかなか根添城を落す事が困難だった事から、道内寺(現在の中沖字道内屋敷)に本陣を移し八幡菩薩に戦勝祈願したところ、ついに城は落城し安倍軍を追い払う事が出来た事から、頼義は神意に感謝し、城跡に石清水八幡宮(旧男山八幡宮:京都府八幡市)から分霊を勧請して八幡神社を創建したと伝えられています。
基本的に安倍氏の勢力範囲は北は糠部(現在の青森県東部)から南は気仙郡(現在の宮城県北部)とされ、現在の岩手県中央から北部にかけて拠点となる多くの砦や柵が設けられていました。朝廷の掃討軍の最大の拠点が多賀城(宮城県多賀城市)だった事からも、それより南に位置する当地に俘囚の拠点があったとは考えにくいと思われます。
又、根添城の規模では周辺に複数の砦等がなければ拠点として成立するのは難しくかなり中途半端な存在なような印象を受けます。この事から、根添城は中世の小豪族か、土地の有力者の居館として設けられ、坪沼八幡神社は鎮守社か、館主の氏神として勧請されたものと推察しました。
坪沼八幡神社はその後、周囲の人達からも信仰されるようになり、仙台市内にある八幡神社の中で最も古い歴史を持っていると言われています。古くから神仏習合し赤石山圓通寺頼光院(宗派:天台宗)が別当寺院として祭祀を司っていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治5年(1872)に村社に列し、明治44年(1911)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。
坪沼八幡神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間半、 正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り、三方浜縁、高欄、左右隔て板付。本殿は一間社流造、銅板葺、外壁は真壁造り板張り。境内には神門(長床:寄棟、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門)や鐘楼(切妻、鉄板葺、高欄付、外壁は柱のみの吹き放し、梵鐘は初代のものは太平洋戦争により供出し、現在は2代目)、別宮として延命地蔵や、薬師如来、三宝荒神、不動明王などが見られ、神仏混合の名残が感じられ古社の雰囲気があります。毎年4月15日は例大祭では神輿渡御が行われ、町内を練り歩きます。祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、武内宿禰。
坪沼八幡神社:上空画像
【 参考:サイト 】
・ 公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-坪沼八幡神社
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