八幡神社(角田市)概要: 八幡神社は宮城県角田市角田字牛舘に鎮座している神社です。八幡神社は案内板によると「 八幡神社は、仙台藩祖伊達政宗の叔父にあたる角田石川氏初代石川昭光公(伊達氏16世輝宗の弟)が、旧領石川郡(福島県)の八幡宮から、慶長3年(1598)に遷座した石川氏の守護神で、現本殿は安政2年(1855)の建造とされ、建築様式は一間社流れ造りで、組物や彫刻は江戸時代末期の特徴をよく示している。市の指定文化財である楼門は、慶応2年(1866)に造営された彫刻の豊富な2階建ての門で、その彫刻は特に虹梁や蟇股に力が注がれている。 角田市教育委員会 」とあります。
八幡神社は石川氏が岩代国石川郡泉(福島県石川町)の領主時代からの崇敬社で、石川氏の祖が源頼遠だった事から源氏の氏神である八幡神を信仰したと思われます。
慶長3年(1598)、当時の当主である石川昭光が千石城(宮城県大崎市松山)から角田城に入封すると城下町である現在に遷座しました。
その後も歴代石川家が庇護し寛文元年(1661)には4代石川宗弘が銅鐘を寄進しています(明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が強い銅鐘は石川家の菩提寺である長泉寺に遷されています)。
石川家は明治維新まで領主を歴任した為、八幡神社は江戸時代を通して角田領(要害)の総鎮守、一宮として信仰を集めました。祭神:応神天皇、神功皇后。
八幡神社楼門(随身門)は江戸時代末期の慶応2年(1866)に建てられたもので、入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚楼門、細部には精緻な彫刻が施されているものの、同時代の社殿建築よりはやや抑え気味の意匠となっています。
八幡神社楼門は江戸時代末期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和56年(1981)に角田市指定文化財に指定されています。
同じく「敵国降伏」の扁額も昭和56年(1981)に角田市指定文化財に指定されています。境内の大杉は推定樹齢300年、樹高30m、幹周9m、平成3年(1991)に角田市指定天然記念物に指定されています。神社山門は神仏混合時代の名残と思われ、旧伊達藩領内の古社には山門や鐘楼など本来寺院建築に見られるものが境内に建立されています。
八幡神社:上空画像
八脚門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-角田市教育委員会
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