石川宗弘

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石川宗弘(斗蔵寺観音堂)
【 概 要 】−石川宗弘は寛永7年(1630)、角田石川家第3代当主石川宗敬と牟宇姫(伊達政宗第2息女)の子供として生まれました。正保3年(1646)に宗敬が隠居した事に伴い家督を継ぎ角田要害(宮城県角田市)の館主に就任しています。石川家は仙台藩一門筆頭の家格で、従兄弟という関係から仙台藩2代藩主伊達忠宗から信任を得て、仙台城の城下に仙台東照宮(宮城県仙台市)を創建した際には宗弘を江戸に派遣して徳川家康の御霊を勧請させています。伊達騒動では両派閥から距離をとっていたようで騒動が一応収まると仙台藩の御礼総代として4代将軍徳川家綱に謁見し御礼を述べています。

石川宗弘は角田領内の開発も尽力し、万治4年(1661)に領内の農民に対して上納1貫文につき3貫文までは鍬下年季(新田開発当初から村高に登録されるまでの、年貢徴収免除期間)4年を与える制度を確立し延宝6年(1678)には新田1千町歩に達し総石高も2万1千380石余に達しています。寛文6年(1666)と寛文8年(1668)に角田要害の要害町に火災が発生し大きな被害を被ると、宗弘は新たな町割りを行い町中に水路を設ける事で防火と排水の便宜を図り、さらには田畑行き渡るように計画しています。又、野谷地開拓の灌漑の為、寛文4年(1664)は大規模な堤防を設け小田川の水を引き込んで大沼・赤沼・舟沼の3つの溜池を作り、余った水は水路を通して角田要害の水堀に流れ、それが町の水路に通じるような仕組みになっていました。

石川宗弘は社寺の保護も行っており、承応2年(1653)には角田愛宕神社の社殿を再建、寛文3年(1663)に火災で焼失した斗蔵寺観音堂(角田市指定文化財)を再建妙安寺を創建、明暦元年(1655)に妙安寺(宗弘の祖母にあたる於山方の菩提寺)の改築、寛文7年(1667)に妹である正菊姫の菩提を弔う為に台山阿弥陀堂を造営、寛文元年(1661)に角田八幡神社に銅鐘寄進しています(現在は長泉寺が所有:角田市指定文化財)。元禄4年(1691)死去、享年62歳、戒名:自徳殿白峰円明大居士、菩提は石川家歴代の菩提寺である長泉寺に葬られています。

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