伊達慶邦

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伊達慶邦(鳥屋神社)
【 概 要 】−伊達慶邦は文政8年(1825)に仙台藩11代藩主伊達斉義と山本敬親の娘との子供として生まれました。天保8年(1837)に登米伊達家出身の仙台藩12代藩主伊達斉邦が実姉である勁松院綵姫と婚姻関係になると慶邦は養嗣子に迎え入れられています。天保12年(1841)に伊達斉邦が死去すると慶邦が家督を継ぎ仙台藩13代藩主に就任しています。仙台藩は東北地方の雄藩として蝦夷地の警衛が任ぜられ大きな負担となっています。慶応4年(1868)に発生した戊辰戦争の際には事実上クーデターを起こした薩長軍に憤りを感じ会津藩に同情的だった事から、当初は会津藩を赦免するよう嘆願し交戦する意志はありませんでした。

しかし、薩長軍の余りにも無礼な態度に次第に対立を深めたものの、会津討伐の命を受け4月11日、慶邦は居城である仙台城(宮城県仙台市)を出立、4月13日には本陣と定めた白石城(宮城県白石市)に入城しています。閏4月11日東北雄藩14藩の代表が集まり所謂「白石会議」が行われ引き続き会津藩赦免の方針が成されていましたが、閏4月20日に仙台藩士が福島で世良修蔵を暗殺した事から交渉が完全に決裂、閏4月21日に慶邦は仙台城に戻っています。その後、ついに白石城にて奥羽越列藩同盟を結成しその盟主として担ぎ上げられ、8月6日に再び白石城に入っています。明治元年(1868)9月15日、新政府軍に降伏すると仙台藩は一時廃藩となり慶邦も仙台城を退去しましたが、その後、懲罰として62万石から28万石に減封された事で存続が認められています。

伊達慶邦の実績としては嘉永3年(1850)に祈願所である鳥屋神社(宮城県石巻市)に百疋を奉献し、一皇子宮(宮城県石巻市)に参拝、吉岡八幡神社(宮城県大和町)には先祖伝来の軍旗を奉納しています。又、当初は子宝に恵まれなかった事から夫人を伴って赤湯(東鳴子温泉)に湯治を行っており2児を設けたと伝えられています。明治7年(1874)死去、享年50歳。

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