石巻市: 一皇子宮

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概要・歴史・観光・見所
一皇子宮(石巻市)概要: 一皇子宮は宮城県石巻市湊字大門崎山に鎮座している神社です。一皇子宮の創建は不明ですが後醍醐天皇の皇子である護良親王が埋葬され祀られているという伝承が伝わっています。史実では護良親王は後醍醐天皇や足利尊氏と対立した為、建武元年(1334)に幽閉され建武2年(1335)に惨殺されたとなっていますが、伝承では足利直義の家臣、淵辺伊賀守義博の画策により密かに石巻に落ち延び当地の地頭である葛西氏によって庇護されたそうです。結局再起する事は出来ずこの地に正平元年(1346)に歿しましたが地域には影響力があったようで御隠里や御所浦、御所入など高貴の人物が存在したと思わせる地名が残っています。一皇子宮は護良親王に従った日野氏、日下氏、比羅塚氏、福原氏、志摩氏、遠山氏、岡本氏、淵辺氏の8名の家臣によって奉祭が始まったと推定されますが、護良親王の名前を出す訳にもいかず、「一皇子宮」と呼ばれるようになったとも云われています。

一皇子宮は江戸時代に入ると仙台藩(宮城県仙台市:本城−仙台城)伊達家から崇敬され享保13(1728)には5代藩主伊達吉村、11代藩主伊達斉義、嘉永3年(1850)には13代藩主伊達慶邦が参拝に訪れ、明治維新後の明治15年(1882)には有栖川宮熾仁親王が参拝しています。拝殿背後の塚は護良親王の墳墓とされ、境内には弘安6年(1283)銘のある阿弥陀種子石塔婆や鎌倉時代の種子石塔婆が残るなど歴史が感じられます。祭神:護良親王。

一皇子宮:写真

一皇子宮
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