和渕神社

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概要・歴史・観光・見所
和渕神社(石巻市)概要: 和渕神社は案内板によると「延喜式内社(牡鹿郡10座のうちの1座)で風土記御用書上げによると田村磨将軍大同2年(806)遠田郡箟岳は十一面観音を、建立の節に和渕山本宮に「木船明神」を勧請したのがはじまりと、伝えられる。その後、和渕村の火災により別当屋敷とも類焼し、関係記録は焼出した。又、産土神和渕神社の由緒と祭典について昭和17年10月9日発行和渕神社氏子総代謹誌によると、大古香取神社の神船、常陸より八重の塩路に乗り牡鹿郡和渕山の西辺(船島)に着き、その東方に船を留め(船澤)山頂に「船澤山猿霊峠(樹霊峠)に宮柱を立て神様を祭祀したとも伝えられる。・・・(後略)河南町教育委員会」とあります。

上記の通り、火災により社殿、社宝、記録などが焼失し、それ以前の由来等は不詳です。伝承によると大同2年(806)に坂上田村麻呂が遠田郡箆岳(標高:232m)に法相宗霧岳山正福寺(現在の宮城県遠田郡涌谷町に境内を構える天台宗無夷山箟峯寺)を創建し十一面観音(箟峯寺では京都清水寺から坂上田村麻呂が勧請したと伝える)を納めた際、当地には「木船明神」を勧請し和渕山本宮を創建したと伝えられています。もう一説には太古の昔、香取神宮(千葉県香取市香取、下総国一宮、香取神社の総本社)の分霊を神船に乗せて、常陸国(現在の茨城県)を出航し海流に乗って牡鹿郡和渕山の西辺にある船島に到着し、その東側にある船澤に神船を止め船澤山猿霊峠の頂上に宮柱を立てて祀ったのが始まりとされます。

宮城県内には坂上田村麻呂縁の社寺が多数境内を構えているものの、当然、真偽の程は定かではなく、当社も社宝、記録共に火災で失わている為伝説の域を出ません。和渕神社が当初祭っていたという「木船明神」は聞きなれない神ですが、境内がある和渕山は北上川と江合川の合流点に位置し、追川との合流点にも近い事から水神である「貴船神(高おかみの神)」が祭られていたのが転じたと思われます。和渕山の山頂からは遠く松島湾を望み、合流した川は対岸の神取山にぶつかり、渦を巻く様子から「輪淵」と呼ばれるようになり地名の由来になっている事からも古代からの自然崇拝の対象になっていたかも知れません。和渕神社は平安時代に成立した延喜式神名帳に記載されている香取伊豆乃御子神社の論社ですが、社号から下総国一宮の香取神宮(千葉県香取市香取)に関係が深い事が推察されるものの、貴船神(高おかみの神)との関係は良く判りません。元々祭られていた地元神が貴船神(高おかみの神)に置き換えられ、さらに下総国からの移住者が氏神として香取神宮の祭神である経津主神を合祀したとも考えられます。経津主神の後裔の伊豆豊盆命により奉斎されたという説もあります。

和渕神社は格式が高く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された香取伊豆乃御子神社とも云われ、その後、周辺の神社と合祀した事で和渕村、前谷地村、北村三村の総鎮守として信仰されました。これも伝承ですが、平安時代末期に、源義経が兄である源頼朝と対立し、京都から奥州平泉(現在の岩手県平泉町)に逃避して最中に和渕神社に参拝したとされ、その際、背負っていた笈の中から柳の枝を1本取り出し地面に突き刺すとそれが根付いて村の名所になったと伝えられています。その為か?源氏との繋がりが強く天喜年間(1053〜1058年)には源義家、文治年間(1185〜1189年)には源頼朝が社領の寄進を行っています。明治時代初頭に発令された神仏分離令後の明治7年(1874)に村社に列し、明治43年(1910)に幣帛供進社に指定されています。拝殿は入母屋、茅葺、平入、桁行き2間、梁間1間、正面1間向拝付、外壁は素木下張の古風な建物で歴史を感じます(本殿は覆い屋内部の為に不詳)。神門(長床)は切妻、鉄板葺、五間一戸、単層門。祭神:経津主神、武甕槌神、大巳貴神、高おかみの神。合祀:須佐之男命、三吉大神、倉稻魂命、火産靈神。

和渕神社(拝殿・長床):写真

和渕神社境内正面に設けられた大鳥居
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和渕神社参道石段から見上げた長床(神門) 和渕神社参道植栽越に見える本殿正面 和渕神社社殿右斜め前方から撮影した全景画像 和渕神社拝殿向拝に施された彫刻


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