斗蔵神社(角田市)概要: 斗蔵神社は日本武尊(景行天皇皇子、仲哀天皇の父)が東夷東征の際、斗蔵山に登り勧請したのが始まりとされます。
斗蔵神社の社殿は伊具郡衙の跡とされる角田郡山遺跡の方角を向いているとされ、その反対側には同じく日本武尊が創建したと伝わる熱日高彦神社が鎮座している事から関係性が窺えます。
斗蔵山(238m)は大同2年(807)には弘法大師空海(真言宗開祖)が当地を訪れ「紫雲天にたなびき 奥州無二の霊地なり」が称する程の霊山で古来から人々から信仰の対象になっていたと思われます。歴代領主や為政者からも崇敬され、源義家や北畠顕家、伊達政宗などがこぞって参拝登山をしています。
万治3年(1660)に火災により全山焼失した事から斗蔵神社の社殿も同時に焼失、現在の社殿はその後再建されたと思われるもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺、平入、桁行3間、梁間2間、外壁は素木板張り。本殿は一間社流造、鉄板葺。
古くから神仏習合し別当寺院は坂上田村麻呂が大同2年(807)に創建したと伝えられる観音堂を管理する斗蔵寺が祭祀を担い、「斗蔵三社大明神」などと呼ばれてきました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、斗蔵寺とは分離し、社号を「斗蔵神社」に改めて明治5年(1872)に村社に列しています。
現在でも斗蔵寺とは境内が隣接し、神社でありながら神門(二層楼門形式、入母屋、金属板葺き、五間一戸、上層部には高欄)があるのも神仏習合時代の名残と言えそうです。祭神:保食神、大山咋神、菊理媛神。
斗蔵神社:上空画像
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