名取市: 増田神社

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概要・歴史・観光・見所
増田神社(名取市)概要: 増田神社の創建は文安年中(1444〜1448年)に菊池家が近畿地方(大和国)から下向した際、笠山神社の分霊を手倉田に祀り、その後永正年中(1504〜1520年)に菊池左馬介が現在地に鎮座しました。菊池家は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将で南朝方の忠臣、菊池武光の一族菊池豊後の後裔で当地に土着したと思われます。大和国城上郡(現在の奈良県桜井市)に鎮座する笠山神社は興津彦神、興津姫神、土祖神の三神を祀る神社で、その三神は初めて火を起こし、ものを煮て食べることを教えられた神、所謂「三宝荒神」として信仰され、笠山神社は日本三荒神に数えられた名社、その分霊を勧請したと思われます。当初は笠山大荒神と称し、広く信仰を集め、戦国時代末期の天正18年(1590)には奥州仕置きで改易となった葛西氏や大崎氏の遺臣が復権を目指した所謂「葛西、大崎一揆」の平定の為、徳川家康や蒲生氏郷などが戦勝祈願をしています。

増田神社はその後、領主や藩主を歴任した伊達家が崇敬庇護し、文禄元年(1590)に朝鮮出兵の際には伊達政宗もここを訪れ武運長久を祈願し、仙台藩2代藩主伊達忠宗が鷹狩で当地近くに来た際に参拝に訪れ社領を寄進しています。菊池家の後裔は奥州街道名取宿の北方検断を歴任するなど引き続き、当地域で名家、旧家の地位を維持し安永2年(1773)には菊池歌之助昌澄が社殿の造営を行っています。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、社号を「笠山神社」に改称し明治5年(1872)に村社に列し、その後周辺の多くの神社と合祀した事を受け、明治42年(1909)に現在の社号である「増田神社」に改め昭和10年(1935)に神饌幣帛料の供進社に指定されています。

増田神社境内には神仏混合時代の名残と思われる神社山門(長床)や古くから信仰の対象となっている「わら地蔵(案内板によると「名取の古くからの言い伝えによると、祈願しながらわらやひもで地蔵様をしばる「しばり地蔵」の風習があり「わら地蔵」とも云われていた。願い事がよくかなうと評判になり遠方からの参拝がたえなかった。)とあります。」や明治時代に狛犬の台座に刻み込まれた「高低測量几号標」などがあります。祭神:大土御祖神、奥津彦神、奥津姫神。配祀:建御名方神、大物主神、大日霊尊、玉島神、天穂日命、武甕槌神、菅原道真公。

増田神社:写真

増田神社
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