熊野神社新宮社(名取市)概要: 熊野神社新宮社の創建は熊野神社本宮と同様に名取老女が紀伊国の熊野三社(熊野本宮大社:和歌山県田辺市本宮町本宮・熊野速玉大社:和歌山県新宮市新宮・熊野那智大社:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智)の分霊を奥州名取の里に勧請したと伝えられ、新宮社はその三社中、熊野速玉大社の分霊を勧請したものとされます。
文治5年(1189)、源頼朝が奥州平泉(現在の岩手県平泉町)の藤原氏討伐(奥州合戦)の際も当社に戦勝祈願に訪れています。本宮社と同じく歴代領主から崇敬され、特に伊達家からは社領の安堵や社殿の造営など多くの寄進がなされています。古くから神仏習合しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され、大正10年(1921)に郷社、昭和10年(1935)に県社に列しています。
拝殿背後の本殿は中央に新宮社証誠殿(一間社熊野造、こけら葺き、白木造り)、東側に那智飛竜権現殿(一間社熊野造、こけら葺き、白木造り)、西側に本宮十二社権現殿(三間社流造、こけら葺き、白木造り)、老女の宮(一間社流造、銅板葺き、白木造り)で構成されています。
本殿群はの建築年は江戸時代初期の元禄6年(1693)に仙台藩4代藩主伊達綱村が造営した貴重な社殿建築で宮城県指定有形文化財に指定されています。
境内には新宮寺文殊堂(案内板によると「三間四面の宝形造りで、建立年代は定かではないが文政2年(1819)伊達斉村が再興したといわれる。お堂には、本尊「文殊菩薩」とその従者4体が安置してあり、一切経も約3000巻伝わっている。」とあります。
神仏分離令後に、仏教色が強い、仏像や仏具などが遷されました。)や鐘付堂などがあり神仏混合の名残が感じられます。又、例祭で奉納される熊野堂舞楽は宮城県指定無形民俗文化財に指定されています。
熊野神社(旧新宮社):上空画像
|