名取市: 道祖神社(佐倍乃神社)

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概要・歴史・観光・見所
道祖神社(佐倍乃神社)概要: 道祖神社(佐倍乃神社)は宮城県名取市愛島笠島字西台に鎮座している神社です。道祖神社(佐倍乃神社)境内にある由緒書きを刻み込んだ石碑によると「佐倍乃神社は、元禄2年5月俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」行脚の時、「笠島はいずこ五月のぬかり道」とよんだ句にある名取市愛島笠島に鎮座している神社で、旧社号を笠島道祖神と称しました。祭神は猿田彦大神と天鈿女命で、景行天皇四十年の日本武尊御東征の時から毎年4月20日を祭日としています。慶長7年野火に遇い、社殿及び古来の宝物、文書等一切焼失しましたが、後柏原天皇の時大永2年10月23日本殿造営されました。文禄元年2月15日伊達政宗公社殿の修繕、又元禄13年10月19日綱村公拝殿を修造し祭田二貫文を寄進する等歴代の藩主公厚く尊崇されました。祭神の猿田彦大神は、天孫降臨の際道をお開きご案内した事から道の神と、又御夫婦の神である天鈿女命と共に人間生活の道を守るところから縁結び、夫婦和合の神と祀られており、例祭日には宮城県無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納されます。尚平安朝時代の長徳四年陸奥守に任ぜられた藤原実方中将朝臣が、赴任途中当社の前を通過した途端落馬し、一命を落した事は歴史的に有名であり、その墳墓は当社より北方約700mの塩手字北野にあります。 」とあります。

道祖神社(佐倍乃神社)は古くから名社として知られ元禄2年(1689)の「奥の細道」の際には松尾芭蕉も参拝しようとしたものの、生憎の天候により道が荒れた為に参拝を断念し「笠嶋は いづこさ月の ぬかり道」の句を残しています。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治7年(1874)に現在の社号である「佐倍乃神社」に改称し村社、明治41年(1908)に郷社に列し、明治43年(1910)には幣帛供進社に指定されています。又、明治41年(1908)には延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された「佐具叡神社」を合祀しています。祭神:猿田彦大神、天鈿女命。

道祖神社(佐倍乃神社)長床は入母屋、桟瓦葺、五間一戸、桁行5間、梁間2間。拝殿は元禄13年(1700)に仙台藩(藩庁:仙台城)4代藩主伊達綱村が造営したと伝えられる建物で木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行5間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造板張り。本殿は寛政3年(1791)、8代藩主伊達斉村が寄進したもので、三間社流造、スレート葺(元茅葺)、桁行5.4m、梁間3.4m、外壁は素木板張り、正面3間向拝付、江戸時代後期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から名取市登録文化財に登録されています。境内にある「タラヨウの木」は樹高約20m、幹周約80cm、北限地帯のタラヨウの巨木として大変珍しい貴重な事から名取市登録文化財に登録されています。

道祖神社(佐倍乃神社):写真

道祖神社(佐倍乃神社)
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