宮城県・日本武尊:縁の社寺・温泉

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社寺・温泉:一覧

名 称
場 所
内   容
備 考
大高山神社・宮城県
大河原町
・大高山神社の境内地は日本武尊が東夷東征で当地まで進軍した際に仮宮を造営し、暫くの間滞在した地と伝えられています。その後、日本武尊の顕彰から御霊を勧請し「白鳥大明神」と呼ばれるようになったそうです。・名神大社
・多賀神社・宮城県
・仙台市
・景行天皇40年(西暦110年)に日本武尊が多賀大社(滋賀県多賀町)の分霊を勧請し創建されたとの伝承が残されています。・延喜式内社
多賀神社・宮城県
名取市
・多賀神社には次のような伝承が伝えられています。景行天皇の時代に日本武尊が当地まで進軍してきたものの、長旅と連戦から重い病となり床に臥せってしましいました。そこで、霊地と思われる柳の生い茂るこの温暖な地を探し出し、そこで病気平癒の祈願を行ったところ、見事念願成就し体力も回復し無事に都に凱旋帰国する事が出来ました。その事を感謝し祠を造営したのが多賀神社の始まりとされます。・延喜式内社
佐倍乃神社・宮城県
・名取市
・佐倍乃神社は景行天皇40年(西暦110年)4月20日に日本武尊が当地まで進軍してきた際に創建したが始まりとされます。その由緒に基づき、現在も4月20日には例祭が行われています。 
熱日高彦神社・宮城県
角田市
・日本武尊が勅命により当地に赴いた際、霊地として知られていた大森山の山麓に祭壇を設けて、天皇家の祖神である邇邇杵命を祀ったのが熱日高彦神社の創建とされます。日本武尊が凱旋国の途中で薨去すると、景行天皇の勅命により社殿が造営され尊の御霊も併せて祭るようになったそうです。・延喜式内社
斗蔵神社・宮城県
・角田市
・伝承によると日本武尊が当地まで進軍した際、霊山として知られた斗蔵山(標高:238m)に登拝し、山頂に祠を設けたのが斗蔵神社の由緒となっています。斗蔵山には弘法大師空海や、源義家、北畠顕家、伊達政宗なども登拝したとの伝承が残されています。 
・鹿嶋天足
・和気神社
・宮城県
・亘理町
鹿嶋天足和気神社は景行天皇41年(西暦111年)に日本武尊が東威東征で当地まで進軍した際に三門山の山頂に鹿島神宮(茨城県鹿嶋市大字宮中)から分霊を勧請し創建されたと伝えられています。 
安福河伯神社・宮城県
・亘理町
・安福河伯神社は景行天皇41年(西暦111年)に日本武尊により創建されたと伝えられています。 
鹿島神社・宮城県
・丸森町
・鹿島神社は景行天皇の御代に東威東征で当地まで進軍した日本武尊により勧請されたと伝えられています。 
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名 称
場 所
内   容
備 考
・湊浜・宮城県
・七ヶ浜町
・「日本書紀」によると日本武尊は上総から陸奥に海路を経て上陸した場所が「竹ノ水門」と呼ばれる港で、現在の湊浜という説が有力なようです。 
・冷鉱泉・宮城県
・七ヶ浜町
・案内板によると「日本武尊が蝦夷征伐のおり発見し、身を清めたと伝えられる。その後、出羽三山(山形県)に参詣する者、必ずこの地に寄り、身を清めてから出かけるのが習わしだった。・・・・後略・・・・七ヶ浜町教育委員会」とあります。 
・刈田嶺神社・宮城県
・蔵王町
・刈田嶺神社の境内は倭建尊(日本武尊)が東夷東征の為、当地まで進軍した際に陣を敷いた場所と伝えられています。その後、尊の顕彰を称え、尊の分霊が勧請され「白鳥大明神」と呼ばれるようなり仲哀天皇元年に改めて白鳥社が創建されています。・名神大社
・遠流志別石
・神社
・宮城県
登米市
・景行天皇の時代に日本武尊が東夷東征の際、御姨倭姫命から授かった明玉が功を奏し、見事東国を平定するに至りました。すると明玉は霊石となった為、当地に祭る事になり、これが遠流志別石神社の由来として伝えられています。地名である「石越」は霊石が数多くの小石を生んだ事に因み「石子石の里」と呼ばれるようになり、それが転じたものとされます。・延喜式内社
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名 称
場 所
内   容
備 考
・飯野山神社・宮城県
・石巻市
・景行天皇の時代、日本武尊が当地まで進軍し頑強な陣を敷きましたが、食糧不足に陥り多くの兵士が飢えにより苦しんでいました。すると、突然、尊の前に3人の老人が出現し、飯をひたすら焚き、全ての兵士にその飯を分け与えました。霊飯を食した兵士達は戦意が向上し、見事蝦夷を平定する事が出来ました。尊は老人達に感謝を込め祠を設けて祭ったのが飯野山神社の由来として伝えられています。・延喜式内社
拝幣志神社・宮城県
・石巻市
・拝幣志神社は伝承によると日本武尊が当地に蔓延る賊徒を平定した際に創建したと伝えられています。・名神大社
日高見神社・宮城県
・石巻市
・日高見神社は伝承によると景行天皇40年(西暦110)に日本武尊が陸奥国に海上から上陸し、賊徒を征伐した後に天照大神の分霊を勧請し武運長久を祈願したのが始まりと伝えられています。・延喜式内社
白鳥神社・宮城県
村田町
・白鳥神社の境内は日本武尊が東夷東征の際、陣を構えた地と伝えられています。尊が東国を平定後に凱旋帰国中に死没すると、父親である景行天皇がその死を偲んで、西暦123年に縁のある村田町に尊の御霊を勧請し白鳥神社を創建したとされます。 
白鳥神社・宮城県
・柴田町
・伝承によると日本武尊は東夷東征の際、船岡山に館を築き地元の有力者の娘を現地妻として迎え子供も授かりました。しかし、東国の平定が完遂すると、妻子を置き去りに都に帰った為、妻子はその後を追ったものの産後の無理が祟り途中に息絶え白鳥になり天に帰ったと伝えられています。江戸時代中期の元禄12年(1699)、船岡館の館主柴田源四郎はその伝説から改めて白鳥神社を創建したそうです。 
拆石神社・宮城県
・柴田町
・古老が伝え聞く話によると日本武尊東征の折、磐坂皇子を祀ったとも伝えています。 
・駒形根神社・宮城県
・栗原市
・日本武尊が東夷東征の際、オオヒルメノ尊外五柱を勧請し駒形根神社を創建したとの伝承が残されています。・延喜式内社
・敷玉早御玉
・神社
・宮城県
・大崎市
敷玉早御玉神社は景行12年(812)に日本武尊が東夷東征の凱旋の折、豊玉姫命と玉依姫命の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。・延喜式内社
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※ 「全国の日本武尊:縁の社寺・温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。リンクはフリーですが画像や文章等のコピーは行わないでください。※プライバシーポリシーはこちらです。