名取市(歴史)概要: 名取市は宮城県の中では比較的古くから開けていた地域で、東北最大級とされる雷神山古墳を始め観音塚古墳、大塚山古墳、熊野堂横穴墓群など多くの古墳が存在します。
又、古代の名取市には多賀城へ続く東山道も開発された事で文化的にも道祖神社や多賀神社などの延喜式内社や弘誓寺などの古社が建立されました。
道祖神社には平安時代の陸奥守だった藤原実方中将朝臣が神社へ参拝せず通り過ぎた為、落馬し亡くなったという逸話も残っています。文治5年には平泉を本拠とした藤原秀衡が築いた高館が奥州合戦の戦場となる歴史的舞台となります。
中世からは伊達領となり名取周辺は家臣である福田氏を配します。近世に入ると名取市中心部に奥州街道が引かれ慶安3年(1650)に増田宿が設置されます。
増田宿は当時から名取市周辺の中心的存在で名取郡の南方検断役所や北方検断役所などの政治的施設が設置され、藩主の本陣や休憩所となっていました。
現在の名取市は仙台市に隣接している為、近代化が進み街道沿いも増田神社や町屋が数軒残る程度で当時の町並みは失われつつあります。
郊外には「名取型」と呼ばれる洞口家住宅や移築保存された旧中沢家住宅などがありますが宅地化されると良好な農村景観も失われるかも知れません。
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