涌谷町: 黄金山神社

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概要・歴史・観光・見所

黄金山神社(涌谷町)概要: 黄金山神社は宮城県遠田郡涌谷町涌谷字黄金宮前に鎮座している神社で、10世紀に定められた延喜式内社で古来より信仰の対象となっていました。

黄金山神社は案内板によると「涌谷は、日本で初めて金(砂金)が採れた所である。それは奈良時代、聖武天皇によって東大寺の大仏が建立されていた時のことである。大仏は銅で鋳造した後鍍金する金銅仏であった。だがこの鍍金用の金が不足し、大仏の完成が危ぶまれていた。そこへ天平21(749)年、涌谷から日本で初めて産出した砂金900両(約13kg)が、陸奥国守百済王敬福によって献上された。

この砂金によって大仏は無事完成したのである。このできごとは世の中を大きくわかせ、聖武天皇は年号を天平から天平感宝へと変え、大伴家持は初産金を祝して歌を詠み、万葉集に残した。黄金山産金遺跡は、発掘調査によって奈良時代の建物跡が発見された。この建物は、産金を記念して建立された六角円堂と推定されており、天平産金の重要な関連遺跡として、昭和42年国史跡の史跡の指定を受けた。

一方黄金山神社の歴史は古く、初産金のあった天平21(749)年、砂金が採れた山に神社があったことを示す記録がある。この神社が涌谷の産金と深い関わりのある黄金山神社で、後に国の官社となった。その後砂金の枯渇とともに朽ちたが、江戸時代に沖安海によって再興され、現在も人々の信仰を集めている。かつて砂金を採った地域は、箟岳兵陵一帯と考えられている。今でもこの兵陵のあちこちの沢から採れるわずかな砂金が、古代の栄華を現代に伝えている。 涌谷町」 とあります。

黄金山神社が何時頃から信仰されたのかは判りませんが当初は地元神(山ノ神)が祭られ日下部深淵が神官を勤めていました。聖武天皇21年(749)、黄金山神社が境内を構える小田郡で突如として大量の金を産出し、奈良東大寺大仏建立に大きく貢献した事から地元神(山ノ神)と神官である日下部深淵が注視されるようになり天平神護年間(765〜767年)に境内に当時の建物としては格式の高い瓦葺きの仏堂が造営され、社号も黄金山神社に改められました。

平安時代後期の延長5年(927)に成立した全国の著名な神社を纏めた延喜式神名帳では式内社小社として記載され、当時から格式の高い神社として認識されていました。安土桃山時代の天正18年(1590)に火災の為に社殿が焼失し文禄2年(1593)に再建されましたが、その後は信仰も薄れ荒廃しました。

江戸時代後期の文化7年(1810)、黄金山神社の存在が人々から忘れ去られ現在の石巻市の沖合に浮かぶ金華山に境内を構える金華山黄金山神社があたかも聖武天皇に金を献上した由緒ある神社として幅をきかせていた頃、伊勢白子(現在の三重県鈴鹿市)出身の国学者である沖安海が研究の結果、涌谷町にある黄金山神社こそが正真正銘の黄金山神社である事を発表しました。

さらに文政から天保年間(1818〜1844年)、周辺に疫病が蔓延した事から黄金山神社への奉斎を怠った事と悟った住民達は天保6年(1835)から浄財を募り天保8年(1837)に社殿(現在の拝殿)が造営されました。

明治5年(1872)に県社に列し、明治42年(1909)に明治4年(1871)に造営された愛宕神社の社殿を黄金山神社の本殿として移築改造し愛宕神と月山神社を合祀しています。

黄金山神社の拝殿は天保8年(1837)に造営されたもので、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、正面1間向拝、外壁は真壁造り素木、江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な事から平成17年(2005)に涌谷町指定文化財に指定されています。

本殿は一間社、神明造、銅板葺。境内は神域だった為、古木大木が多く、黄金山神社の御神木は樹高28.4m、幹周4.1m、名称「黄金宮ご神木の杉」として昭和60年(1985)に涌谷町指定天然記念物に指定されています。祭神:金山毘古神、天照皇大神、猿田彦命。

黄金山神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 日本史跡大辞典1-株式会社日本図書センター
・ 現地案内板-涌谷町教育委員会


黄金山神社:ストリートビュー

黄金山神社:写真

黄金山神社参道石段沿いにある石鳥居
[ 付近地図: 宮城県遠田郡涌谷町 ]・[ 涌谷町:歴史・観光・見所 ]
黄金山神社観光用と思われる黄金色の大鳥居と石造社号標 黄金山神社境内の木製燈篭越に見える歴史ある拝殿 黄金山神社拝殿正面とその前に置かれた燈篭 黄金山神社本殿と透塀


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