白石城

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概要・歴史・観光・見所
白石城概要: 白石城は、平安時代後期に発生した後三年合戦(1083〜1087年)の功によって白石周辺模型写真・案内板よりを支配した刈田氏が築城したと伝えられています。鎌倉時代から中世にかけては白石氏が治めていましたが、戦国期になると伊達家に臣従します。天正18年(1590)の行われた豊臣秀吉の奥州仕置きの結果と、その後に発生した葛西大崎一揆の不手際により、伊達家は旧芦名氏領を失った他出羽国内の領地が削減され岩出山城(大崎市岩出山町)に移った為、白石城も、秀吉の家臣で旧芦名氏領を賜った蒲生氏郷の管理下となります。白石城は交通の要衝で四方を山で囲まれている事で重要視され、一族である蒲生郷成によって本格的に縄張りされています。蒲生氏は会津若松城(福島県会津若松市)を居城とする92万石の大大名でしたが、氏郷が死去すると跡を継いだ秀行が幼少で家臣団を抑え切れなった事で宇都宮城(栃木県宇都宮市)12万石に源封され、変わって上杉景勝が120万石で会津に入城します。白石城には家臣である甘糟景継が入り城の修復を行います。慶長5年(1600)に起こった関ヶ原合戦では伊達家が西軍側の上杉軍と敵対する形になった事から、白石城が両軍の攻防となり、片倉家の活躍などがあり、落城します。近世に入ると伊達領となり、領土の南端に位置する事から最重要拠点とされ、一国一城令の中、領内唯一支城が認められています。白石城は当初は石川氏が入るなど、伊達家中でも重臣が配置され、慶長7年(1602)以降は片倉小十郎景綱が城を預ると代々片倉家が城主となります。幕末から明治初頭には戊辰戦争の舞台ともなり奥羽25藩と北越6藩が白石城に集まり、「奥羽越列藩同盟」を結びました。戊辰戦争は朝廷側の勝利に終わり、片倉家と家臣の多くが北海道に移住する事になります。

明治初頭には白石城も廃城となり、多くの建物が解体されましたが、東口門は当信寺山門に、厩口門が延命寺山門に、城門(どこか不明)が耕徳寺山門に、煙硝蔵が個人宅にそれぞれ払い下げとなり現存しています。白石城の城跡は昭和57年(1982)7月2日に白石市指定史跡に指定されています。又、再建された三階櫓、大手一ノ門、大手二ノ門、石垣、土塀が平成23年(2011)に白石市指定有形文化財に指定されています。

白石城:写真

天守閣
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石垣 井戸・大手門一ノ門 大手門二ノ門 二の丸
天守閣 本丸 裏御門 本丸土塁
大手門二ノ門 太鼓櫓 石垣・土塀 白石城

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