清林寺(白石市)概要: 清林寺は宮城県白石市南町2丁目 に境内を構える浄土真宗の寺院で、案内板によると「元和元年(1615)「大阪夏の陣」の際、豊臣方の名将真田幸村は、落城直前に徳川方の伊達家重臣片倉重長に女児(阿梅)を託した。片倉重長はその後、幸村遺児(阿菖蒲、おかね、大八)と遺臣をも引き受け、白石城下に住まわせたのである。この寺院は、法源山清林寺と称し、浄土真宗本願寺派(本山は京都の西本願寺)に属している。本尊はすべての者を平等に救う阿弥陀如来。開基は真田幸村の遺臣三井奉膳。奉膳は浄土真宗に帰依して、本願寺第十二世准如上人のもとで出家得度し、「善久」という法名を賜った。寛永11年(1634)に善久坊を創建。萬治2年(1659)、本願寺第十三世良如上人の時に法源山清林寺と改称した。寺紋は、真田家の「六文連銭」である。 白石市 」とあります。
清林寺を開山した三井奉膳は真田昌幸、幸村(信繁)父子に仕えた三井景国の次男とされます。景国は慶長5年(1600)の上田城(長野県上田市)攻防戦に参戦し、真田家が改易となり九度山に流された際にも随行、慶長19年(1614)・慶長20年(1615)の大坂の陣でも幸村と共に徳川軍と戦っています。戦傷し、戦線を離脱した事で命を長らえ、京都の西本願寺で身を隠している際に浄土真宗に帰依し、次男である奉膳が出家するに至っています。
その後、幸村の遺児が仙台藩(藩庁:仙台城)の藩主伊達政宗の家臣で白石城の城主、片倉家で匿われている事を知り、景国はその縁から片倉家の家臣として取り立てられ、奉膳は白石で清林寺の前身となる善久坊を設けています。又、三井家は真田家とも血縁関係があった事から、真田家の家紋である「六文銭」を掲げる事が許され、清林寺の寺紋となっています。境内には三井家の墓碑が建立されています。
清林寺:上空画像
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