延命寺(白石市)概要: 瑞珠山中道坊延命寺は宮城県白石市不澄ヶ池に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。延命寺の創建は安土桃山時代の天正年間(1572〜1593年)、中道坊卓彦俊雄法印が当地を訪れた際に、京都から奉じた延命地蔵尊を本尊として勧請し潮石寺の境内跡地に一宇を設けたのが始まりと伝えられています(現在は本尊として大日如来を改めて勧請し、延命地蔵尊は脇侍となっています)。
境内には源義経が謀反を起し、兄である源頼朝により追討を受け、奥州平泉(岩手県平泉町)に下向する際に家臣である武蔵坊弁慶が薙刀の錆びを落としたと伝わる「不澄ヶ池」があり、潮石寺と呼ばれる寺院が前身だったとも云われている事から、それが事実であれば、歴史はさらに遡ると思われます。新西國霊場刈田三十三札所第三十三番。宗派:真言宗智山派。本尊:大日如来、歓喜天。
延命寺の山門は白石城が明治初頭に廃城となった事を受けて厩口門が明治7年(1874)頃に払い下げられ移築されたものです。
山門は三間一戸の櫓門(楼門)形式で切妻の瓦葺き外壁は大壁造り、白漆喰仕上げ、桁行7.5m、梁間3.6m、高さ5.8mですが、厩口門は江戸時代に書かれた白石城の屏風絵に入母屋で描かれている事から、延命寺に移築する際に城門を寺の山門風に改修したと考えられています。
その他にも1層目の両側に花頭窓、2層目には眼象窓を設えるなどの改修が見られます。延命寺の山門(楼門)は数少ない白石城の遺構として貴重で「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成28年(2016)に国登録有形文化財に登録されています。
延命寺境内には「ころり地蔵尊(安珍地蔵尊)」が安置されていて、その縁起は「白石に生まれた安珍は早くに両親と死に別れた為、早々に出家し修業の日々を送っていた。ある時、熊野詣での行脚の途中、村の名主の家で一晩泊まる事になった。その時名主の娘清姫に恋されていまいます。安珍は修行中の身である事を理由にその場から立ち去りますが清姫は諦めつかず安珍を追い続けます。
困り果てた安珍は道成寺に駆け込み事情を説明し釣鐘の中に身を隠します。清姫の情念はやがて姫の体を大蛇へと姿を変え、釣鐘に巻きつき、安珍と共に燃え尽きてしまいました。その悲報を伝え聞くと白石で供養の為、地蔵尊を建立したそうです。」この地蔵尊の足を人知れずなめると、無病で長生きをして突然ころりと大往生すると伝えられています。
延命寺:上空画像
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