下戸沢宿(白石市)概要: 下戸沢宿は七ヶ所街道の宿場の1つで上戸沢宿と渡瀬宿(現在は七ヶ宿ダムの湖底)の間に位置しています。七ヶ宿街道の小坂峠と金山峠の間には、仙台藩領に属する上戸沢宿、下戸沢宿、渡瀬宿、関宿、滑津宿、峠田宿、湯原宿の7つの宿場があり街道の名称の由来となっています。
下戸沢宿には本陣1軒、脇本陣1軒が設けられ30〜40軒程の足軽が配置され3町35間程の規模があり宿場の中央は枡形で大きく鍵型になっています。本陣は江戸時代中期以降廃され、変わって検断職、問屋職を担った高橋又六家が本陣に準じる格式が与えられています。
隣接する上戸沢宿は仙台藩と福島藩との藩境に隣接し番所が設けられていた事から下戸沢宿にも足軽が配され、支援出来る体制になっていたと思われます。ただし、日頃から警備の任があったわけではないので他の仕事も併用で半士半民の生活を行っています。
現在、3棟の萱葺屋根の民家が街道沿いに残っていて、七ヶ所街道の宿場の中ではある意味宿場町らしい雰囲気を保っている唯一の場所かも知れません。道路の幅もさほど広くなく、家屋の間隔も当時とさほど変わっていないような感じがします。
特に萱葺の2棟は建物の形状から当時旅籠を営んでいたと思われ、情緒を誘います。下戸沢宿に境内を構える清光寺は刈田三十三観音霊場第31番札所や飛び不動の別当寺院として知られ、明治時代初頭には当時の住職の霊夢に地蔵尊の化身が立ち、それにより境内にあった赤地蔵尊を麓の赤井集落に移したという伝説が残されています。
下戸沢宿:上空画像
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