白石市: 当信寺

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概要・歴史・観光・見所
当信寺(白石市)概要: 功徳山泰陽院当信寺は宮城県白石市本町に境内を構えている浄土宗の寺院です。当信寺の創建は慶長2年(1597)に良益上人が開山したのが始まりと伝えられています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで伊達家は東軍に与した功により白石周辺は仙台藩領になると、白石城には重臣である片倉小十郎が配され、慶長9年(1604)に白石城の城下町が整備されると、片倉氏の家臣である小片仲知により当信寺は現在地に遷されています。慶長20年(1615)の大坂夏の陣の際、大坂(豊臣家)方の有力武将だった真田幸村から子供(阿梅、阿菖蒲、おかね、大八)が片倉家に預けられ、その後、阿梅は片倉重長の後妻となり、当信寺が菩提寺となりました。院号である「泰陽院」は阿梅の戒名「泰陽院殿松源壽清大姉」に因むもので、当信寺は歴代片倉家の庇護となり、寺領五百壱文が安堵され領内四ヶ寺の格式を与えられています。安永2年(1774)の火災により多くの堂宇が焼失し衰微しましたが、天保元年(1830)の阿梅150回忌を機に再興が図られ随時、再建が行われました。

当信寺本尊は室町時代に作られたという阿弥陀如来像で、慶長20年(1615)の大坂夏の陣の際、片倉家の家臣である遊佐勘四郎が四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺)より譲り受けたものとされ、檜材、寄木造、像高42.6cm、貴重な事から平成4年(1992)に白石市指定文化財に指定されています。

当信寺の山門は白石城の二の丸大手門の2の門だったものを明治の初頭に払い下げられたもので、上層部に「眼象窓」を取り付けたり、狭間などの開口を無くしたりといった改修が見られます。山門は三間一戸の櫓門(楼門)で、切妻、瓦葺き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、藩政時代には太鼓櫓を兼用していたようで城内の時を報せていました。当信寺山門は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成28年(2016)に国登録有形文化財に登録されています。当信寺本堂は天保2年(1831)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行7間、正面1間向拝付き、建築面積180u、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、花頭窓付、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成28年(2016)に国登録有形文化財に登録されています。

当信寺境内には白石老人(年齢、名前、出身など不明でしたが、身分に関係なく人々から崇敬されていた仙人のような存在)の墓や真田阿梅・大八の墓があります。案内板によれば「元和元年(1615)大坂夏の陣のとき大坂方の名将、真田幸村は落城と自分の最期を覚悟し、智勇兼備を見込んだ敵将片倉重長に阿梅と穴山小助の娘の教育を託した。重長は幸村の遺児、阿梅、阿菖蒲、おかね、大八たちを白石城の二の丸で密かに教養し、阿梅は重長の後妻に、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、大八は片倉四郎兵衛守信と名のり伊達家に召抱えられた。阿梅と大八守信の墓はこの当信寺に阿菖蒲の墓は蔵本勝坂の田村家墓地にある。片倉重長は、真田幸村夫妻の菩提を弔うため大平森合に月心院を建立した。」とあります。新西國霊場刈田三十三札所第三番。山号:功徳山。院号:泰陽院。寺号:当信寺。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来立像(黒本尊)。

当信寺:写真

当信寺境内正面に設けられた山門(楼門)と石造寺号標
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当信寺山門(楼門)上層部に設けられた「眼象窓」 当信寺植栽越に撮影された本堂正面画像 当信寺本堂とその前に置かれた大型の石燈篭 当信寺境内に建立されている真田阿梅と大八の墓


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