定義如来(西方寺)

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概要・歴史・観光・見所
西方寺(定義如来)概要: 西方寺は宮城県仙台市青葉区大倉字上下に境内を構えている曹洞宗鎮西派の寺院です。西方寺の創建は平家が壇ノ浦の戦いに敗れた平重盛の重臣平貞能が、この地まで落ち延び阿弥陀如来の宝軸を安置した事が始まりとされます。阿弥陀如来の宝軸は中国の欣山寺から平重盛が賜ったとされ、貞能は主の遺言で源氏からこの宝軸を守り通す事を告げられたと云われています。その後、貞能は名前を定義と改め、人里から離れたこの場所で建久9年(1198)、享年60歳で波乱の人生に幕を閉じ、いつしか本尊である阿弥陀如来を定義如来と呼ぶようになりました。

平貞能は伊賀国を本拠とする平氏譜代の有力家人で平清盛の家令を勤め、源平の合戦でも各地で転戦していましたが、平家本隊が九州に退き体制を整えていた際に、離脱して出家しました。平家一門が壇ノ浦の戦いで事実上滅亡すると、鎌倉幕府の有力御家人だった宇都宮朝綱を通じて情状酌量を願い出て許されたとされます。記録上はその後の消息が不明な為、定義如来をはじめ特に東日本で平貞能の伝説が数多く残されています。

定義如来は密かに祭られていましたが、江戸時代中期の宝永3年(1706)に貞能の家臣の後裔を自称する早坂源兵衛が仏門に入り、「観蓮社良念」を名乗り定義如来を本尊とする正式な寺院「極楽山西方寺」として開山しています。その後、定義如来の信仰が広がり遠方からも参拝者が訪れるようになり、現在では宮城県を代表する観光地の1つとなっています。

西方寺仁王門は昭和6年(1931)に建立されたもので入母屋、銅板葺、正面軒唐破風、三間一戸の八脚二重楼門形式、上層部には高欄が廻り、下層部には仁王像が安置、時代背景からか多少バランスが悪いように思いますが、彫刻や組物、唐破風などかなり凝った造りをしています。山門(仁王門)を潜ると貞能堂があり、貞能公の遺言通りに墳墓の上に建てられたもので、昭和2年(1927)に建替えられています。この建物は旧御廟の鞘堂の意を汲んで、平面的には6角形で正面には唐破風や彫刻が施されています。五重塔は昭和51年(1976)に建てられた比較的新しいたてもので高さは約29mあるそうです。西方寺(定義如来)は豊作、大漁、子育て、安産などに御利益があるとして訪れる人が絶えません。北国八十八ヶ所霊場第8番札所。宗派:曹洞宗鎮西派 。本尊:阿弥陀如来(阿弥陀如来画像軸)。

西方寺(定義如来)の文化財
・ 鐘楼堂−昭和7年−入母屋、銅板葺、面積11u−国登録有形文化財
・ 山門−昭和8年−入母屋、銅板葺、三間一戸、二重楼門−国登録有形文化財
・ 手水舎−昭和7年−切妻、銅板葺、面積2.8u−国登録有形文化財
・ 御守授所−昭和2年−木造平屋、銅板葺、面積6.1u−国登録有形文化財
・ 御廟貞能堂−昭和2年−木造平屋、銅板葺、面積165u−国登録有形文化財

定義如来(堂宇群・境内):写真

西方寺(定義如来)
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