陸奥国分寺

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概要・歴史・観光・見所

陸奥国分寺(仙台市)概要: 護国山医王院国分寺は宮城県仙台市陸奥国分寺若林区木下に境内を構える真言宗智山派の寺院です。陸奥国分寺は案内板によると「 741年(天平13年)聖武天皇の勅願により全国に建立された中でもわが国最北に位置する国分寺である。これまでの調査結果から講堂・金堂・中門・南大門・七重の塔等が確認され、その規模は方800尺(242.4m)に及ぶと考えられている。奈良・平安時代、中央政府の力が衰えるに伴い徐々に衰退して行った。慶長年間(1596〜1615)仙台藩祖伊達政宗が仙台に居城を構えた折、薬師堂・仁王門等が再興された。」とあります。

陸奥国分寺は平安時代の天平13年(741)に聖武天皇の詔によって当時の名僧として知られる行基菩薩が開山したと伝わる古寺で、現在残されている日光菩薩像と月光菩薩像は行基が自ら彫刻したものと伝えられています(全国的には国分寺は国府に近い例が多いですが、陸奥国府が置かれた多賀城とは約10キロ程離れています)。

創建当初は境内に大小18の堂宇が造営され、周囲には3千にも及ぶ僧坊が軒を連ねたとされ名僧である慈覚大師円仁が陸奥国分寺に入ると天台宗に改められています。

貞観11年(869)の貞観大震災や承平4年(934)に落雷による火災で大きな被害を受けましたが、奥州藤原氏の庇護によりその都度再興、しかし文治5年(1189)の奥州合戦の兵火で再び荒廃しています(奥州藤原氏4代当主藤原泰衡は国分寺の近くに鞭楯に本陣を敷いたものの戦局が不利になった為退き、その際の兵火により仏像などは持ち出したものの多くの堂宇が被災しました)。

その後国分寺は再興され多くの仏像が奉納されましたが、朝廷の権威の失墜により衰退し、室町時代初期の頃は相当廃れていました。戦国時代には領主である国分盛重が一部の堂宇が造営し、さらに天正13年(1585)に当時の別当である宥松が願主となり小厨子を制作し薬師如来像を納めています。

慶長6年(1601)に伊達政宗が仙台藩を立藩し仙台城(宮城県仙台市青葉区青葉山)を築城すると、同時の城下町の町割りが行われ、その一環として古社古寺の再興が図られ陸奥国分寺もその対象となりました。

陸奥国分寺は慶長10年(1605)から再建が開始され慶長12年(1607)に薬師堂、寛永6年(1629)に鐘楼が竣工し、延享2年(1745)に6代藩主伊達宗村が準胝観音堂を造営しています。寺運も再び隆盛し境内に25坊を擁する大寺院となり、仙台藩寺院格式では着座格に列しました。

陸奥国分寺の境内には薬師堂と仁王門の他に白山神社(宮城県指定有形文化財)と準胝観音堂(仙台市登録文化財)、陸奥国分寺旧陸奥国分寺の礎石などがあり境内全域が大変貴重な事から名称「陸奥国分寺跡」として大正11年(1922)に国指定史跡に指定されています。寺宝が多く、上記以外に銅造薬師十二神将像掛額、芭蕉句碑、大淀三千風供養碑が仙台市指定文化財、日光・月光菩薩立像が仙台市登録有形文化財に指定されています。仙台三十三観音霊場第25番札所(札所本尊:准胝観世音菩薩・御詠歌:いさぎよやおきて正しくよしあしを 分けゆく国の道芝のつゆ)。北国八十八ヶ所霊場第2番札所。山号:護国山。院号:医王院。寺号:国分寺。宗派:真言宗智山派。本尊:薬師如来。

【 薬師堂概要 】-陸奥国分寺薬師堂は案内板によると「現薬師堂は伊達政宗が陸奥国分寺薬師堂泉州(今の大阪府)の工匠駿河宗次郎を招いて再建したもので、慶長12年(1607)に完成した。柱間五間の素木造りで勾欄付の縁をめぐらし、四面とも桟唐戸と連子窓を設ける。屋根は入母屋造本瓦葺きで向拝をつけ廻縁をまわす。組物、装飾とも極めて簡素であるが素朴な力強さを持ち、同時代の大崎八幡宮の華麗さとは好対照をなすもので共に仙台を代表する桃山建築である。本尊薬師如来像を治める家形厨子は堂内にあり、その周囲には十二神将、毘沙門天、不動明王(以上県指定有形文化財)、日光・月光菩薩を安置する。・・・(後略) 」とあります。

陸奥国分寺薬師堂は江戸時代初期に造営された御堂建築の遺構としての遺構として大変貴重な事から名所「陸奥国分寺薬師堂 附 厨子1基・棟札1枚」として明治36年(1903)に国指定重要文化財に指定されています。

【 仁王門概要 】-陸奥国分寺薬師堂仁王門は案内板によると「1607年(慶長12年)頃に陸奥国分寺跡の南大門の位置に建立されたと思われる。素木造り・3間(5.45m)1戸の八脚門で、両側に仁王像を配している。県指定有形文化財。」とあります。

陸奥国分寺仁王門は慶長12年(1607)頃に旧陸奥国分寺の南大門跡地に伊達政宗(仙台城の城主)が造営したもので、入母屋、茅葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、左右には運慶が彫刻したと伝わる密迹金剛像と那羅延金剛像が安置されています。

陸奥国分寺仁王門は江戸時代初期の寺院山門建築の遺構として貴重な事から昭和50年(1975)に宮城県指定有形文化財に指定されています。

【 鐘楼概要 】-陸奥国分寺鐘楼は案内板によると「創建時代は不明だが、慶長年間ないし江戸時代初期を下らないものと考えられる。桁行3間(5.45m)、梁間2間(3.64)、瓦葺(現在は鉄板葺)」とあります。陸奥国分寺鐘楼は江戸時代初期頃に建てられた古建築物として貴重な事から平成7年(1995)に仙台市登録有形文化財に登録されています。

陸奥国分寺:上空画像

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 日本史跡大辞典1-株式会社日本図書センター
・ 現地案内板-仙台市教育委員会
・ 現地案内板-仙台市


陸奥国分寺:ストリートビュー

陸奥国分寺:写真

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