【 概 要 】−伊達宗村は享保3年(1718)、仙台藩5代藩主伊達吉村と冬姫(長松院:久我通名の娘)との子供として生まれました。8代将軍徳川吉宗から偏諱を受けて宗村に改名、寛保3年(1743)吉村の隠居に伴い伊達家の家督を継ぎ仙台藩6代藩主に就任しています。宝暦2年(1752)、仙台藩で大凶作が発生すると農民から直訴を受けましたが、それに激怒した宗村は磔刑した上に田畑、家屋全てを取り上げました。宝暦6年(1756)死去、享年39歳、戒名:政徳院殿忠山浄信大居士、大年寺に墓碑が建立されています。
延享元年(1744)には竹駒神社(岩沼市)の社領及び竹駒寺の寺領として6貫819文を寄進、同年には鶴ケ峯八幡宮(黒川郡大和町宮床赤坂)を参拝、延享2年(1745)に生母である長松院が死去するとその願いを叶える為に陸奥国分寺境内に准胝観音堂(仙台市若林区木下:仙台市登録文化財)を造営、同年には、家臣である庄司伝七郎に命じて大己貴命と少彦名命の二柱を勧請し稲荷神社(現在の松尾神社)を創建、延享3年(1746)には青麻神社(仙台市宮城野区岩切字青麻沢)に参拝、同年に須岐神社(黒川郡大衡村駒場字下宮前)に参拝し病気平癒を祈願しています。
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