伊達忠宗

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伊達忠宗(感仙殿)
【 概 要 】−伊達忠宗は慶長4年(1600)、仙台藩初代藩主伊達政宗と陽徳院(愛姫:田村清顕の娘)との子供として生まれました。忠宗には長兄である伊達秀宗が居ましたが、側室(飯坂氏)の子供で、豊臣秀吉の猶子、豊臣秀頼の小姓を勤め豊臣姓を賜っていた事から江戸時代に入り徳川家が政権を豊臣家から奪い取ると伊達家の家督を継ぐには相応しくないと思われていたようです。慶長19年(1614)に秀宗が伊達政宗と共に大坂冬の陣に参陣すると、形式上は政宗が宇和島城(愛媛県宇和島市)10万石を与えられ、その分を秀宗に分知し宇和島藩を立藩した為、忠宗が名実共に後継者となりました。

寛永13年(1636)、政宗が死去すると伊達家の家督を継ぎ仙台藩2代藩主に就任してます。忠宗は藩政改革や法度の制定、領内総検地、土地の単位を全国標準化、家臣団の知行地再編などを実地し藩政の基礎を固めました。新田開発も積極的に行い買米制も非強制かつ代金先払いにする事で農家にも意欲的に開発に取り組んでいます。又、居城である仙台城は戦国時代の気風が強い要害堅固の山城だった事から麓に二ノ丸を造営し近代的な行政が行えるように改変しています。承応2年(1653)には生母である愛姫(陽徳院)の遺言により3男の宗良に田村家を再興させ栗原郡岩ヶ崎に1万石を与えています(田村宗良は鵜ヶ崎城2万石、岩沼藩の藩主となっています)。万治元年(1658)死去、戒名:大慈院殿義山崇仁大居士、家督は伊達綱宗が継いでいます。

伊達忠宗は社寺の保護も行い、寛永13年(1636)に覚範寺第四世清岳宗拙和尚を招いて政宗の香華院として瑞鳳寺(宮城県仙台市)を創建、境内には政宗の霊廟である瑞鳳殿を造営、さらに寛永14年(1637)に梵鐘を寄進しています。塩釜神社(宮城県塩釜市)を篤く崇敬し寛永13年(1636)には鐘楼を造営、慶安3年(1650)には長床を修復しています。寛永14年(1637)には忠宗が開基となり殉死した青木友重の弟である日悟を招いて広潤山法運寺を創建、寛永17年(1640)に白山神社の社殿を再建、寛永19年(1642)には正室振姫(孝勝院)の養母である英勝院(徳川家康の側室)の菩提寺善勝寺(後の孝勝寺)の庇護、寛永19年(1642)には側室である得生院の菩提寺として善導寺を庇護しています。正保元年(1644)には竹駒神社(宮城県岩沼市)の別当寺院である竹駒寺に名取郡堀内村・南長谷村・押分村の三ケ村4貫819文を寄進しています。

伊達忠宗は正保3年(1646)には次男である伊達光宗の菩提を弔う為に霊廟である三慧殿(宮城県松島町)を造営、正保4年(1647)には江戸納涼の亭を本堂として移築し瑞巌寺第100世洞水和尚を招いて圓通院を創建、観瀾亭(宮城県松島町)を現在地に移築、慶安3年(1650)には生母である愛姫の供養道場として瑞巌寺の雲居禅師を招いて陽徳院(宮城県松島町)を創建、承応2年(1653)に愛姫が死去すると菩提寺としています。

慶安3年(1650)に愛宕神社(宮城県仙台市)を現在地に遷座し社殿を造営、同年にはに大満寺(宮城県仙台市)を現在地に遷し中興開基し寺領36石を安堵、承応3年(1654)には徳川家康の御霊を勧請し仙台東照宮を創建、同年には仙台東照宮の別当寺院として最教院僧正晃海大和尚を招いて仙岳院を創建、仙台東照宮の境内に鎮座していた榴岡天満宮を現在地付近に遷座、阿弥陀寺に寺地を寄進、忠宗が鷹狩を行った際に増田神社(宮城県名取市)を参拝し社領を寄進、平八幡神社(宮城県気仙沼市)を気仙沼郷総鎮守に指定しています。

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