大河原町(歴史)概要: 大河原町の西部にある嶋館神社(本殿)は長軸35m、後円部径20m、前方部幅16m、高さ5mの前方後円墳の頂部に建立されています。5〜6世紀に築造されたと推定され、当時に有力な豪族がいた事を示しています。その後、神社が建てられている事から、周囲の人達がその古墳を神聖視していたように思います。
又、大河原町は敏達元年(571)には台の山に大高山神社が勧請され、延喜式式内社として柴田郡総鎮守となるなど早くから大和朝廷の影響化にあったと思われます。
中屋敷前遺跡では奈良時代から平安時代にかけての遺跡で建物3棟分の礎石と大量の瓦が発見されています。当時は大河原町が柴田郡の中心で、朝廷の出先機関である柴田郡衙か、それに関係した施設だったのではないかと推察されています。
大河原町は奥州街道と村田町、羽州街道へと続く街道の交わる交通の要所で、江戸時代の初期参勤交代制度が確立すると、大河原町の宿場として重要視されるようになり、代官所や御仮屋などが整備されました。
又、藩が紅花や藍の栽培に力を入れていた事もあり、村田町同様に主に仙南地方の紅花や藍が集められ、それらを取り扱う豪商があらわれました。明治維新後になると白石県が設置されると多くの官庁施設や出先機関など置かれ、周辺地域の中心としての地位を確立します。
現在でも旧奥羽街道沿いには、土蔵造りの店蔵(町屋)が並び、特に「大庭家住宅」は江戸時代末期に建てられた旅籠建築として貴重な文化財といえます。又、町の一角には大正時代初期に建てられた現存する大河原町の唯一の洋風建築、大河原カトリック教会があります。
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