岩出山: 有備館

  宮城県:歴史・観光・見所大崎市:岩出山:歴史・観光・見所>有備館

概要・歴史・観光・見所

有備館(大崎市岩出山町)概要: 有備館は岩出山伊達家2代宗敏の時代の寛文3年(1663)に岩出山城の二の丸が火災により領主の居館が焼失した為、その仮居館として延宝5年(1677)頃に建てられた建物です(岩出山伊達家は伊達政宗の4男宗泰を初代とする伊達一族)。

その後、3代伊達宗敏の時代に二の丸も再建され再び居館を岩出山城に遷すと、仮居館だった建物は下屋敷や隠居所として利用されましたが、元禄4年(1691)に領内の学問向上などが目的から学問所「春学館」として開設されました。

翌元禄5年(1692)に現在地に移し名称も「有備館」と改め(有備館の名称の由来は中国の「史記」の文中にある「有文筆者必有武備。有武事者必有文備」一文、所謂「備えあれば憂いなし」の諺が起因していると云われています)、本格的に整備され、現在に見られる景観になり領主自ら足を運び観覧や講習する事もあったそうです。

御改所(主屋)は延宝5年(1677)頃の姿を留めた建物で木造平屋建て、寄棟、茅葺、書院造、付属舎も規模は小さいものの同様に木造平屋建、寄棟、茅葺となっています。

内部は学問所(3室)の他、お上の間、お中の間、お下の間、北座敷、小座敷などの部屋があり、特にお上の間は身分が高い人物が利用する為、床の間や付書院が設けられ格式の高い意匠が採用されています。

岩出山伊達家に仕えていた家臣の子弟は大凡10歳で有備館に入学し、漢学、皇学、兵学等を学習し、成績優秀な者はさらに高度の学習を学ばせる為に優先的に仙台や江戸の学問所に推薦されました。

有備館の庭園は4代伊達泰治の時代、江戸時代中期の正徳5年(1715)に仙台藩石州流茶道三代清水道竿によって作庭されました。有備館庭園は回遊式池泉庭園で借景として岩出山城の岩肌を見せ、池の中には茶島を中心として鶴島、亀島、兜島などを配しています。

庭園の特徴として石や燈篭の使わず、自然物だけで構成している点が上げられ、東北地方の大名庭園として旧態を保っているのは、有備館と福島県会津若松市の「御薬園(会津藩の藩主松平家の下屋敷)」しかないと言われています。

昭和8年(1933)に有備館は地方領主が建てた最古の学問所(藩校)として大変貴重な存在で、庭園も江戸時代中期の名園である事から名称「旧有備館および庭園」として国指定史跡及び名勝に指定されています。

有備館:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 日本史跡大辞典1-株式会社日本図書センター
・ 日本の城下町2[東北(二)]-株式会社ぎょうせい
・ 現地案内板-岩出山町教育委員会・岩出山町文化財保護委員会
・ 現地案内板-岩出山町


有備館:ストリートビュー

有備館:写真

庭園
[ 付近地図: 宮城県大崎市岩出山 ]・[ 大崎市岩出山:歴史・観光・見所 ]
表門 学問所 学問所 庭園
有備館 有備館 有備館 有備館


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「宮城県:歴史・観光・見所」は「宮城県の歴史」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−宮城県」、「日本の城下町−東北(二)」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」、「歴史道路報告書」、を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。