天王寺追分(大崎市岩出山)概要: 天王寺追分は案内板によると「昔の街道、 出羽街道と上街道の分岐点。大正の初期まで茶屋があり、馬を乗り換えた場所です。俳聖松尾芭蕉と曽良は、小黒ケ崎と美豆の小島を尋ねようと、ここを西に折れ一栗の宿まで足を運んだが日が暮れかかったので岩出山に泊まったと曽良日記に記されています。ここにある山神塔は、江戸時代に建てられたもので道標を兼ねています。 宮城県岩出山町 」とあります。上街道は岩出山と一関(岩手県一関市)を結ぶ街道で、東北地方を縦断する奥州街道が開削する以前の主要道とみられ、鎌倉時代に編纂された「吾妻鏡」や南北朝時代から室町時代初期に編纂された「義経記」で記されている「松山道」と同義とも云われます。
松尾芭蕉は、奥州平泉(岩手県平泉町)に向かった際、往路、復路とも上街道を利用しています。街道沿いには天王寺追分の他、名称の由来にもなった天王寺、天王寺一里塚などの史跡が点在しています。
出羽街道は奥州街道の吉岡宿から分岐し、岩出山城の城下、天王寺追分を経由して尾花沢(山形県尾花沢市)に至る街道で、こちらも松尾芭蕉のや源義経縁の史跡が点在しています。
天王寺追分:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-宮城県 岩出山町
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