荒雄川神社(大崎市岩出山)概要: 荒雄川神社は宮城県大崎市岩出山池月字上宮字宮下に鎮座している神社です。荒雄川神社は案内板によると「延喜式神名帳(延喜7年に編集した代表的神社台帳)にのている玉造3座の1つで、鬼首の荒雄岳上の社を奥宮と称したのに対し里宮と称され、神宮寺も併置されて、この地方の信仰の中心となっていた。祭神は、須佐雄尊と瀬織津媛尊で、応徳3年(1086)ころに、源義家が征東の際、戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝えられている。また、嘉応2年(1170)に藤原秀衡が鎮守府将軍となった時に、奥州一の宮とし、室町時代には、奥州探題の大崎義隆が大崎5郡の一の宮として崇敬し、江戸時代に至っては岩出山伊達家の氏神となった。寛保3年(1743)に幕命によって江合川(荒雄川)沿いの三十六所明神を合祀したので、三十六社様とも称されている。」とあります。
荒雄川神社の創建は奈良時代の養老4年(720)と伝えられていますが、境内には縄文時代中期の祭祀遺跡と推定される「荒雄川神社遺跡」がある事から、荒雄岳に端を発する江合川(荒雄川)を御神体とする古代人の素朴な自然崇拝が信仰の初源とも考えられます。
その後、中世は大崎氏(名生城の城主、奥州探題)、近世は岩出山伊達家(岩出山城(要害)の城主)から崇敬庇護され領内総鎮守として社領30石が安堵されています。
荒雄川神社古くから神仏習合してきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色を一掃、明治6年(1873)に郷社に列し、明治44年(1911)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。
荒雄川神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り素木板張り、向拝欄間部には龍、木鼻には獅子の素朴な彫刻が施されています。本殿は一間社入母屋造り、銅板葺、外壁は真壁造板張り。幣殿は切妻、銅板葺き、両下造り、外壁は真壁造板張り。神楽殿は木造平屋建て、鉄板葺き、外壁は正面3方が柱のみの吹き放し。
祭神:大物忌神。配祀:建速須佐之男命、瀬織津姫命、大國主神、言代主神、大山祇神、軻遇突智神、倉稻魂神、武甕槌神、經津主神。
荒雄川神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-岩出山町教育委員会
|
|