栗原市築館(歴史)概要: 栗原市旧築館町は比較的早くから開けていた地域の1つです。神護景雲元年(767)には当時、蝦夷制圧の拠点の1つとされる伊治城が築城され、翌年には栗原郡が設置され、朝廷の支配下に入りました。伊治城内には弩の発射装置と思われる遺跡も発見されており、正に対蝦夷の最前基地だった事がわかります。
城主には栗原郡一帯の俘囚(朝廷の支配下になった蝦夷)長である伊治公砦麻呂が選ばれ、当初は蝦夷制圧にも協力的で外従五位下という官位を得ていましたが、朝廷に対し不満が募り780年に世に言う「伊治公砦麻呂の乱」が起こります。伊治公砦麻呂は朝廷軍を破り、南進し多賀城を制圧したとも言われています。
築館にある双林寺(杉薬師)も天平4年(760)に孝謙天皇が開創したと言われる寺院ですから当時は栗原市周辺が朝廷側にとって特別な地域だったと言えます。延暦年間(796〜801)になると坂上田村麻呂が再び東夷東征を行い志波姫神社で戦勝祈願したとされ、再び朝廷の制圧化となります。
近世に入ると、奥州街道が整備され栗原市築館は秋田への小安街道や登米へと続く登米街道などが交差する交通の要地として宿場が開かれます。
現在の郵便局の所が築舘本陣跡とされ多くの人や物資が運ばれた活気のある宿場町でした。
明治維新後も交通の要所という面では変わらず大正12年(1923)には築館町と瀬峰、登米を繋ぐ仙北鉄道が開通し、昭和25年(1950) 築館線廃止、昭和43年(1968) 登米線廃止まで続けられました。
現在の旧築館町は早くから発展した町だけあり、多くの建物の建替えがあり昔の風情はあまり感じられませんが、双林寺(杉薬師)や妙教寺、志波姫神社など様々な年代の古建築も散在し魅力ある町づくりに期待したいと思います。
栗原市・歴史・観光・見所の動画の再生リスト
|