登米市(歴史)概要: 登米市は岩手県と宮城県の県境に接していた為、古来は平泉の奥州藤原氏の影響が強い地域でした。
現在の登米市中心部にある佐沼城(鹿ヶ城)は藤原氏の家臣だった照井太郎高直が文治元年に始めて築城したと伝えられています。
鎌倉時代に入ると源頼朝は対藤原氏を鮮明にし、平泉に侵攻する所謂「奥州合戦」が繰りひろげられます。文治5年に藤原氏が滅亡すると登米市一帯は戦功のあった御家人葛西氏が支配する事になりますが室町時代以降は鎮守府将軍となった大崎氏が台頭してきた為、両氏の境界線となり多く攻防戦が繰り広げられました。
戦国時代後期に豊臣秀吉の小田原の陣へ大崎、葛西両氏が参加しなかった事から、その後の奥州仕置によって改易され、登米市一帯は奥州仕置で戦功のあった木村氏が統治しました。しかし、木村氏の悪政や大崎、葛西の旧家臣の不満から大規模な一揆(葛西大崎一揆)に発達し登米市は戦場となり、特に佐沼城は一揆勢が籠城戦をした所で、周囲には一揆の史跡や伝承など多く存在します。
一揆が鎮圧されると伊達氏が米沢(現山形県米沢市)から岩出山へ領地替えとなり登米市一帯も伊達領となります。
佐沼城は伊達家重臣の津田景康を配しますが7代後の宝暦6年(1756)に改易となりその後は亘理倫篤が5千石出入り明治維新まで亘理氏が統治します。近年、旧登米郡の8町と本吉郡の津山町が合併し登米市となりました。
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