登米市: 弥勒寺

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概要・歴史・観光・見所
弥勒寺(登米市)概要: 長徳山弥勒寺は宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺寺山に境内を構える真言宗智山派の寺院で、案内板によると「弥勒寺は真言宗にして建立は白鳳5年(649)弥勒菩薩は弘仁年間(810〜24)空海奥羽巡錫のおり安置伝えられ、奥羽の太守、藤原清衡、基衡、秀衡、三代の祈願所にして弥勒菩薩は仏師春日氏の作、脇仏、阿難尊者は雲慶の作、伽葉尊者は堪慶の作と伝えられる。 中田町教育委員会 」とあります。

弥勒寺の創建は不詳ですが、修験道の開祖役小角、又は真言宗の開祖弘法大師空海により開かれたとの言い伝えがあります。平安時代中期以降は奥州藤原氏の庇護により寺運が隆盛し、最盛期には境内に48坊があったとされ現在でも奥の院には奥州藤原氏第2代当主藤原基衡公の位牌が安置されています。中世に入ると領主となった寺池城(宮城県登米市登米町)の城主葛西氏、名生城(宮城県大崎市)の城主大崎氏から庇護されますが、天正18年(1590)に行われた小田原の役に両氏は参陣しなかった事から豊臣秀吉による奥州仕置きで改易となります。これに反対した両氏の遺臣や、新たな領主となった木村氏の悪政に苦しんだ農民が一揆を起こし、その兵火により弥勒寺の堂宇が焼失し衰微しました。その後、弥勒寺は再興を果たし、江戸時代初期の寛永年間(1624〜1643年)に快宥和上和尚により中興、江戸時代には伊達家から庇護を受けました。

本尊である弥勒菩薩座像は鎌倉時代に彫り込まれたとされ、像高2尺7寸6分、桧材、寄木造、玉眼、漆箔仕上げ、昭和26年(1951)8月24日に宮城県指定有形文化財に指定されています。又、脇仏である阿難尊者は室町時代作、像高121.5cm、桂材、寄木造り、玉眼、彩色仕上げ、昭和51年(1976)4月1日に登米市指定文化財に指定されています。同じく、脇仏である迦葉尊者は室町時代作、像高120.8cm、桂材、寄木造り、玉眼、彩色仕上げ、昭和51年(1976)4月1日に登米市指定文化財に指定されています。奥の細道三十三霊場第10番札所。陸中国十三仏第6番札所。山号:長徳山。院号:歓喜院。宗派:真言宗智山派。本尊:弥勒菩薩。

弥勒寺:写真

弥勒寺
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