津田家廟所(登米市)概要: 津田家廟所は案内板によると「天正19年(1591)葛西・大崎一揆勢を平定した伊達政宗は、幼少より仕えていた初代湯目(津田)景康を1500石をもって佐沼城に移封した。慶長15年(1610)相馬備えのため、亘理郡坂元に派遣されたが5年後の元和元年(1615)佐沼城に帰還した。
以後、7代定康に至る165年間にわたり佐沼郷を治めた。初代景康は、元和2年(1616)長沼土手の構築や新田開発に着手して、荒廃した村の復興を図った。以来、代々新田開発や民政に力をいれた。また、歴代の邑主は、仙台伊達藩の要職を勤めて8000石まで加増されたが故あって宝暦6年(1756)改易になった。ここには、初代景康、2代頼康、3代景康、4代春康、5代武康、6代廣康が葬られている。」とあります。
津田家廟所:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-迫町教育委員会
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