諏訪神社(角田市)概要: 諏訪神社は宮城県角田市佐倉字諏訪脇南に鎮座している神社です。案内板によると「諏訪神社は、延元元年(1336)に鎮守府将軍北畠顕家が、義良親王を奉じて陸奥に下向した際、信州諏訪大社から諏訪大神の分霊を勧請し、古くからあった佐久良(佐倉)神社に合祀されている。
伊達政宗が、総目遠征の際当社に戦勝を祈願し、その凱旋のときに金幣帛や烏帽子・日色鈴を奉納して、天正18年(1590)に社殿を造営したとされるが、現在の社殿は、本殿が享和3年(1803)、拝殿は文化4年(1807)に、村民の寄進によって建造されたものである。
建築様式は、本殿が一間社流造り、拝殿は入母屋造り平入で、妻飾の虹梁・蟇股・木鼻などは華やかな彫刻で飾られ、江戸時代後期の特色があらわれている。石鳥居は、安政4年(1857)に建立された明神鳥居で、高さが約4.2m、笠石は約5.7mあり、市内の石鳥居の中では最も大きい。 角田市教育委員会 」とあります。諏訪神社「社殿と石鳥居」は昭和56年(1981)に角田市指定文化財(建造物)に指定されています。
案内板では諏訪神社が主体のような印象を受けますが、本来、佐久良(佐倉)神社の豊島命が信仰の中心であり、諏訪神(建御名方命、八坂刀売命)は後に合祀された神です。
古代、当地方(宮城県角田市、伊具郡周辺)は伊久国と呼ばれた行政区の一つで飽速玉男命の10世後裔の豊嶋命(豊島命)が国造として治めていました。官府は佐久良(現在の宮城県角田市佐倉)にあったと推定されている事からも、豊島命を祭る佐久良(佐倉)神社は伊久国にとって重要な神社だった可能性があります。
伊久国造と関係が深いとされる台町古墳群(伊具郡丸森町:宮城県指定史跡)は5世紀中〜7世紀初頃に築造されている為、この頃に佐久良(佐倉)神社が創建されたかも知れません。諏訪神社は文久3年(1863)に神祇道管領から伊具郡惣鎮守の宣旨を受け、明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、明治5年(1872)に村社に列しています。
諏訪神社拝殿は文化4年(1807)に造営されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行5間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。
本殿は享和3年(1803)に造営されたもので、一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造板張り、木鼻には獅子の彫刻。幣殿は切妻、銅板葺き、両下造り。
諏訪神社拝殿、本殿は江戸時代後期の社殿建築の遺構として貴重な事から昭和56年(1981)に角田市指定文化財(建造物)に指定されています。祭神:豊島命、建御名方命、八坂刀売命。
諏訪神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-角田市教育委員会
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