鹿島御児神社(石巻市)概要: 鹿島御児神社は宮城県石巻市日和が丘2丁目に鎮座している神社です。鹿島御児神社が何時頃から祀られているのかは 不詳ですが延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記されているいわゆる式内社で、創建は伝承によると鹿島(鹿島神宮:茨城県鹿島市・常陸国一宮)、香取(香取神宮:千葉県香取市・下総国一宮)の皇子がこの地に下向し、地域を積極的に開発した事に感謝し両皇子を祭神とした神社を建立したのが始まりとされます。又、社伝によると宝亀11年(780)に陸奥鎮守府副将軍である百王俊哲の奏上に準幣社に列格し、延暦元年(782)に勲五等が授けられています。
古くから度々記録にも現れていて貞観8年(866)に書かれた書の中に「陸奥国に鎮祭せらるるもの貞観八年に於て三十八社あり。本社は実に其の一なり。 」と記されています。
鹿島御児神社は歴代領主から崇敬の対象となり、元暦元年(1184)には奥州平泉(岩手県平泉町)の藤原秀衡と藤原泰衡が 社領の寄進と社殿の造営が行われています。文治5年(1189)の奥州合戦により奥州藤原氏が滅ぼされると、奥州総奉行の役職と当地域は大功のあった葛西清重に与えられ、その清重により社宝が奉納され、以後、歴代葛西氏から崇敬庇護されます。葛西清宗が永仁年中(1293〜1298年)に日和山城(石巻城)を築城すると鹿島御児神社も現在地附近に遷座していますが、戦国時代末期の天正18年(1590)、葛西氏が豊臣秀吉による奥州仕置きによって改易になると庇護者を失い一時荒廃しています。
近世に入り仙台藩(宮城県仙台市:本城−仙台城)の海上安全の祈祷所になると後年は多くの寄進物が奉納されるようになり享保20年(1735)に現在地に遷座しています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治7年(1874)に村社、大正10年(1921)に郷社、昭和10年(1935)に県社に列しています。
鹿島御児神社の拝殿は鉄筋コンクリート造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行5間、正面1間向拝付き。本殿は入母屋造、鉄板葺き。境内一帯は葛西氏の居館だった石巻城の城跡とされ、目立った遺構は見られないものの、郭の形状と思われる削地が残され、境内からは石巻市街が一望出来景勝地としても知られています。祭神:武甕槌命、鹿嶋天足別命。
鹿島御児神社:上空画像
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