| 大崎八幡宮概要: 大崎八幡宮の創建は由緒によると坂上田村麻呂が東夷東征の祭、現在の岩手県水沢市近郊に胆沢城を築きその鎮守社として宇佐八幡宮を勧請し鎮守府八幡宮を創建したのが始まりとされます。その後中世に一帯を支配した大崎氏に庇護され拠点の1つであった現在の遠田郡田尻町に遷座し大崎八幡宮と称するようになります。戦国末期になると伊達家の勢力下に置かれ、岩出山城内に、米沢にあった成島八幡宮と共に祭られ、仙台開府後に城下町の町割りの一部として計画されます。大崎八幡宮の社地は仙台城から見ると乾(北西)にあたり、福門(天門)と呼ばれ、蔵や、福神様を祭ると、縁起が良いと思われる方角で社殿その他藩費で造営される伊達家の崇敬社として明治維新まで続きます。
拝殿・本殿概要: 大崎八幡宮の社殿(国宝)は慶長9年(1604)より12年間の長い期間に渡って造営された仙台藩きっての霊廟建築です。拝殿、石の間、本殿と繋がる権現造りの典型で、梅村日向守家次や梅村三十郎頼次といった全国に名の知られた棟梁を何人も仙台に呼び寄せて造らせたと言われています。構造体は黒色で塗られていますが、組物や彫刻は極彩色や金箔などで仕上げられ桃山文化を継承し、当時の技術の粋が集められているようです。内部も細かな彫刻や狩野派が描いたという屏風絵などが所狭しと見る事が出来ます。
長床概要: 大崎八幡宮の長床(国重要文化財)の建築年は不明ですが貞享3年(1686)に描かれた絵図には既に書かれていた事から、本殿などと同時期に建てられたと思われます。社殿とは対象的な建物で、素木造りで正面に唐破風があり格の高さを出していますが彫刻や組物なども控えめで落ち着いた雰囲気を持ています。このように対象的にするのは当然、社殿をより神格化させる演出効果もあったと思われます。別名「割拝殿」と呼ばれている事から、もしかしたら、当時は一般の人達はこれ以上進めなかったのかも、向って左側が神楽殿となっているの意味深です。旧仙台領内には、神社の境内にこのような長床や神社山門があるといった例が非常に多く興味深いところです。ちなみに大崎八幡宮のものが宮城県最古の長床建築と言われています。
二之鳥居・大石段概要: 大崎八幡宮の二之鳥居(宮城県指定有形文化財)は案内板によると「寛政8年(1668)4代藩主伊達綱村公により寄進されたもので、旧領であった東山郷(現岩手県一関市東山町)より産出した御影石が使用されている。柱裏側の銘文は儒臣内藤閑斎によるもので、虎岩道説により刻された。・・・(後略)」とあります。二之鳥居を越えると長床まで大石段(仙台市登録有形文化財)が続きます。案内板によると「慶長12年(1607)の大崎八幡宮創建時からのものとされる。緊張感のある急勾配のなかにも均衡のとれた石段で98段とも100段とも言われる。・・・(後略)」とあります。
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