| 仙台東照宮概要: 仙台東照宮は二代藩主伊達忠宗公が慶安2年(1649)から承応3年(1654)までの5年がかりで造営した神社です。江戸幕府への配慮から、徳川家康公を祀る、日光東照宮を勧請し、人足:583675人、大工:129967人、材木:24730本、総工費小判22496両掛かったという一大事業でした。全国から棟梁や絵師、材料なども一流を求め、当時の技術の粋の結集した伊達文化の総決算のような存在と言えます。拝殿は昭和10年に焼失してその後再建されたものですが、その他の社殿等に被害が少なく、本殿、唐門、透塀、隨身門(楼門)、石鳥居が国重要文化財に指定され、手水舎が宮城県指定有形文化財に指定されています。又、明治時代初頭に発令される前は神仏混合で別当が仙台藩一門格筆頭寺院の仙岳院でした。忠宗は東照宮の祭祀料として500石、仙岳院関係に500石の合計1,000石(後に1,440石)を仙岳院に管理させ、その後の歴代藩主がお墨付きを与えていました。仙台東照宮の社地は元々天神社(榴岡天満宮)が遷座していましたが、大崎一揆の際、徳川家康と伊達政宗が共に布陣した縁の地の為選ばれ、天神社が榴岡に移った後に東照宮が造営されました。
本殿概要: 仙台東照宮本殿は案内板によると「本殿の御祭神徳川家康公の御神霊をお祀りする、社殿の中出で最も重要な建物である。大きさは正面三間、側面二間、入母屋造銅瓦葺で棟に千木・堅魚木を載せる。・・・(中略)・・建物は総欅造、木目を現した透漆塗で内外部分塗装を施し、縁、高蘭、木階は朱漆塗、外部板安部と床は黒漆塗とし彫刻には金箔押や生彩色を施す。各所に精巧な鍍金金具を付け、金梨地の金蒔絵、桟唐戸の金具の七宝装飾等、伊達文化の粋を結集した極めて荘麗な建物である。」とあります。
唐門と透塀概要: 仙台東照宮唐門と透塀は案内板によると「唐門は一間一戸向唐門、銅瓦葺。正面円柱、背面角柱、花崗岩の基盤の上に立つ。天井と垂木の間、蟇股に牡丹の花、扉の綿板に紗綾形模様を彫出し、鳳凰、麒麟、唐獅子の浮彫を付ける。・・・(中略)・・透塀は一周延長四十四間(79.4m)、銅瓦葺。花崗岩の基壇上に土台を廻し、角柱を建て、腰長押、内法長押を付す。欅文、連子窓は黒漆塗。長押には飾金具を付ける。」とあります。
隨身門概要: 仙台東照宮隨身門は案内板によると「・・・(前略)構造は三間一戸の楼門形式の八脚門で、屋根は銅板葺きの入母屋造りである。軒下は比較的複雑で肘木の構造には天竺様を思わせる部分もあるが総じて和様である。二階勾蘭には精巧な細工がほどこされ、均斉のとれた重厚さがある。二階正面中央に、妙法院宮堯然親王筆の「東照宮」の扁額があるが、表面銘文には承応元年(1652)作とあり門の建築年代は本殿等と同時期の承応年間である。 仙台市教育委員会 」とあります。
石鳥居概要: 仙台東照宮石鳥居は案内板によると「伊達忠宗公の奉献によるもので、明神鳥居形式の美しい形態の鳥居である。鳥居の主な部材は花崗岩で、忠宗公夫人振姫の郷里備前国大島から運搬し建造されたものである。・・・(中略)・・・約2mの角、厚さ60cmの安山岩の一枚基盤の上に東西約2m、南北約2.5m、厚さ約90pの安山岩の根溺み石で左右の柱が固定された堅固な構造になっている。
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