登米町 :登米神社

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登米町・観光・歴史・名所
登米神社概要: 登米神社は案内板によると「八幡宮は天喜年中鎮守府将軍源頼義が賊徒征伐の時鏃を神体として戦勝を祈願した辺室山の所浄地に、康平5年(1064年)頼義の嫡子義家が山城国鳩峰に鎮座せる石清水八幡宮を勧請分遷したもので、後世その地を八幡崎と呼んだ。文治5年(1189)藤原泰衡没落後、葛西三郎清重がこの地方を所有するに至り、八幡宮を7郡の総鎮守葛西家累代の守護神として崇敬した。天正18年(1590年)葛西家散亡の運命となり慶長9年(1604)仙台藩の伊達相模守宗直が本領主として移城するにおよび同11年(1606年)八幡宮を八幡崎から寺池道場山麓に遷座した。更に享保7年(1722)6代伊達村永が社殿を現在の山上に移築し、歴代領主の守護神として尊敬し引き継がれた。・・・(後略) 登米町」とあります。伝承によると、源義経が幼少時に奥州平泉(現在の岩手県平泉町)に滞在していた際、度々当社に参拝に訪れ源氏再興の祈願を行ったとされ、見事念願成就すると「武蔵坊弁慶の書」を奉納したと伝えられてます。境内にある芭蕉句碑は明和7年(1770)に建立されたもので、元禄8年(1695)に発刊された「木がらし」の中の「降らずとも竹植うる日は蓑と笠」の句が刻まれています。古くから神仏習合し「八幡宮」と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され、明治6年(1873)に稲荷神社に合祀して現在の社号である「登米神社」に改めて県社に列しています。境内には鐘突堂(入母屋、スレート葺、高欄)や神社山門である随神門(切妻、鉄板葺、三間一戸、八脚単層門)があり当時の神仏混合の形態を現在に伝えています。随神門に安置されている随神は寛文15年(1670)に登米伊達家第5代大蔵村直公(仙台藩3代藩主伊達綱宗の4男、登米伊達宗倫の養子となった。)が仙台城から持参したものと言われ、全国的に見ても精巧な工法が使われているそうです。拝殿は入母屋、スレート葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社流造、鉄板葺。祭神:田心姫命(タゴリヒメノミコト)、湍津姫命、市杵島姫命、猿田彦命、倉稲魂命、大宮姫命、応神天皇。
登米神社
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