登米町 :養雲寺

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概要・観光・歴史・名所
養雲寺(登米町)概要: 養雲寺の創建は長享2年(1488)に白石宗長が開基となり長禄寺(福島県須賀川市)三代目住職麟慶純和尚を招いて開山したのが始まりとされます。白石氏は当時白石城(宮城県白石市)を居城として白石周辺を支配していましたが、伊達家に随行するようになります。白石氏は、天正14年(1586)に二本松(福島県二本松市)、天正19年(1591)に水沢(岩手県奥州市水沢区)、慶長9年(1604)に登米(宮城県登米市登米町)と領地が変わり、菩提寺である養雲寺もこれに従います。白石宗直は元和2年(1616)の大坂の陣で功を挙げた為、仙台藩(宮城県仙台市:本城−仙台城)の藩主伊達家の一門として認められた為、以後、登米伊達家と呼ばれるようになり、養雲寺は歴代登米伊達家の菩提寺として庇護されました。本堂背後の山中には登米伊達家歴代の墓碑が建立されており昭和52年(1977)に登米市(旧登米町)指定史跡に指定されています。本尊:釈迦牟尼仏。

現在の養雲寺本堂は延享3年(1746)に建てられたもので、入母屋、銅板葺、平入、桁行10間、正面1間切妻向拝付。山門(楼門)は案内板によると「楼門形式の山門である。伊達初代藩主宗直公の手によって、養雲寺が岩手県水沢から移築される以前この地にあった寺(太白山永明寺といい現在は中田町大泉に移って長承寺の前身となったもの)の山門と伝えられ、正面の扁額もそのままである。建築工法、形式、用材(栗)等から江戸初期以前の建築と推定されるが、由緒ある門らしく風格があり、旧状もよく保たれている。」とあります。山門は切妻、銅板葺(元茅葺)、三間一戸、四脚楼門、伝承によると天正18年(1590)の奥州仕置きにより葛西氏が改易となり寺池城が廃城になった際、城門の1つが永明寺の山門として移築されたと伝えられる古建築物とされ、昭和51年(1976)に登米市(旧登米町)指定文化財に指定されています。

又、養雲寺の境内には三光堂と呼ばれる旧霊屋があり内部に厨子が納められ、案内板によると「第4代藩主伊達宗倫の正室の厨子と伝えられる。規模が小さく工法稍々簡略化されているが、覚乗寺高台院霊屋の厨子と同じ形式で精巧な工法、彩色の美といい桃山式の面影をもつ秀作である。 登米町教育委員会」 とあります。三光堂は宝形造、銅板葺、桁行2間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は素木板張り、内部に安置されている家形厨子は昭和51年(1976)に登米市(旧登米町)指定文化財に指定されています。

養雲寺
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