白鳥神社(石巻市)概要: 白鳥神社は宮城県石巻市桃生町城内字舘下に鎮座している神社です。白鳥神社の創建年等は不詳ですが鳥居前の案内柱に「中津山郷総鎮守 白鳥神社(別名小鋭神社)」と刻まれている事から、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている加茂小鋭神社と関係があるようです(加茂小鋭神社の論社かも知れません。※ メールで御指摘があり白山神社の創建は「中津山村史の年表に創建は神護景雲二年(西紀767年)とあります。」との事です)。
又、祭神が日本武尊(倭健命)である事から熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区)の分社とも云われています。伝承によると源義家が参拝したとも伝えられ、文治5年(1189)の奥州合戦(奥州平泉の藤原泰衡の東征)の際には源頼朝が戦勝祈願を行い神楽で使う面を奉納したとも云われています。その後は神仏習合し、華厳宗の法印が別当として祭祀を司っていましたが戦国時代に荒廃しました。
江戸時代に入ると桃生郡鹿又領主・瀬上家(2千石)が崇敬社として庇護し寛文11年(1671)には社殿を修復し、領地が変わった後も例祭には代参を派遣して参拝しています。
その後に領主になった黒沢家(桃生郡中津山所、3千3百石)も中津山郷総鎮守として庇護し、享保10年(1725)には仙台藩(宮城県仙台市:本城−仙台城)5代藩主伊達吉村が領内視察の際に当社を参拝し境内の整備が行われています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令後の明治5年(1872)に村社に列し、明治40年(1907)に幣帛供進社に指定されています。
外壁、屋根ともに赤く塗られた社殿(拝殿:入母屋、金属板葺き、桁行3間、正面1間向拝付・本殿:一間社流造り、木羽葺き)はさほど大きくはありませんが長い参道には山門(長床:入母屋、瓦葺き、三間一戸、八脚単層門)や多くの石碑、境内には小祠なども見受けられ由緒と歴史は感じられます。祭神:日本武尊(倭健命)。
白鳥神社:上空画像
|