拆石神社(柴田町)概要: 拆石神社は宮城県柴田郡柴田町大字葉坂字宮前に鎮座している神社です。拆石神社は御由緒によると「往昔、宮下宅と呼ぶ地の後山に在り、拆石神社鎮守明神といった。平城帝の大同2年6月14日此神後山の社地を去り飛揚倏忽、其の有る所の巨石を裂きて、これを中分し石中にやどる。石形並立して屏風のようであった。かく石厳を折いて入り給ひしを以て郷人これより拆石明神といった。又、平城帝の御代、坂上田村麻呂将軍統制の折りこの神社を勧請し、武運長久を祈願したともいい、又、古老いわく、日本武尊東征の折、磐坂皇子を祀ったとも伝えている。村名元磐坂(後・破坂・葉坂)と称したのもこれによるという。・・・(後略)」とあります。
由緒の通り、中腹から岩が裂けているように巨石が積まれ、周囲は神聖な雰囲気が漂っています。古来から山岳信仰や巨石信仰など、このような場所は神聖視される事が多く、この場所も古くから信仰の対象になっていたのではないかと思います。
古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が排除され社号を「拆石神社」に改めて明治6年(1873)に村社に列し、大正3年(1914)に供進指定神社に指定されています。
拆石神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社流造、銅板葺、平入。参道には、石垣が積まれその上に長床を建て、山門(楼門)のような形状をしている建物や、境内には釣鐘(切妻、外壁は柱のみの吹き放し)などが配置されている事から、神仏習合の名残が濃い神社と言えると思います。旧仙台藩(藩庁:仙台城)領内では、古社やいわくがあるものなどは神門(長床)や鐘楼がある例が非常に多いと言えます。祭神:大宜都比売神。配祀:菊理媛神、火産霊神、表筒男神、中筒男神、底筒男神。
拆石神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-拆石神社
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