茂ケ崎城(仙台市)概要: 茂ケ崎城は案内板によると「 中世の城跡。城主は名取郡33郷の領主、栗野大膳といわれ、東麓の宗禅寺には栗野大膳の供養碑が建つ。藩政時代、この地には4代藩主伊達綱村により大年禅寺が創建されたが、明治以後、藩の保護を失い衰退した。 」とあります。
茂ヶ崎城は南北朝時代の康永元年(1342)に北朝方の粟野藤三郎駿河守重直が名取郡内に2千余貫を与えられ、康永2年(1343)に当地に居館を構えたのが始まりとされます。室町時代の寛正年間(1460〜1465年)に5代当主栗野大膳亮忠重が本城を北目城(宮城県仙台市太白区郡山)に居館を遷した為、茂ヶ崎城はその支城として機能したと思われます。
9代当主栗野大膳亮重国は名取郡三十三郷の旗頭になるなど台頭しましたが、天正19年(1591)に伊達政宗に敗北し討死、北目城も落城した為、時期を同じくして茂ヶ崎城も廃城になったと思われます。案内板の周囲は平場の為、郭の部分だったと思われますが、その他の遺構らしいものは少ないようです。
茂ケ崎城:上空画像
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