泰心院(旧藩校養賢堂正門)

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泰心院(旧藩校養賢堂正門)
泰心院(旧藩校養賢堂正門)
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泰心院(旧藩校養賢堂正門)概要: 泰心院の創建は永禄10年(1567)に伊達14世稙宗夫人の菩提を弔う為に、伊達晴宗が米沢に堂宇を建立したのが始まりとされます。その後、奥州仕置きで政宗が岩出山に移封されると随行し、仙台開府と共に現地へ移ってきました。伊達家と繋がりが深かく庇護された為、昌伝庵、松音寺輪王寺とともに城下曹洞宗四大寺の1つと言われていました。泰心院の山門は旧藩校養賢堂正門(仙台市指定有形文化財)を移築したものです。文化14年(1817)建築、切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門で、屋根上部の棟瓦は高く積まれ白漆喰で仕上げられ伊達家の家紋「三引領」と「九曜」が模られています。仙台市に残る四脚門では最大級で、藩校の正門より城郭建築を彷彿させてくれほど重厚な造りとなっています。藩校は元文元年(1736)に前身となる学問所を開設し、安永元年(1772)に正式に養賢堂と名付けられました。主に、孝経、小学本註、四書集註などを教え、3回落第したら退学という規則があり、常に高い教育を施していたと言われています。文化14年(1817)に竣工した講堂などは明治維新後も県庁舎と使用され、後に文化財指定されましたが、第二次世界大戦の空襲により焼失し、泰心院の山門が唯一の遺構となりました。又、境内には傘松が残り案内板には「この樹は四代藩主伊達綱村公の寄進したもので元禄年中に仙台城から移植したともいわれている。土際の幹の周囲は約2.4m、樹高約2.7m枝張りは10.9m四方である。 仙台市 」とあります。
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