白石市(歴史)概要: 白石市周辺は周囲を山で囲まれた盆地ですが、交通の要所であり、古来の郡境や藩境などにもなっていた為、常に重要視されていた地域です。古墳時代には瓶ケ盛古墳(全長60mの前方後円墳)が築かれるなど当時から有力豪族が支配し、奈良時代初期には刈田郡役所(推定)が設置され刈田郡の中心となっていました。
鎌倉時代初頭の「奥州合戦」では源頼朝軍と奥州平泉の藤原国衡軍とが阿津賀志山で対峙し、石那坂で激戦が繰り広げられます。藤原氏は敗退、平泉へと大きく後退し、この戦いで古代奥州政権の転機となります。
中世の白石市一帯は白石氏が支配しますが、戦国末期は伊達氏、蒲生氏、上杉氏と次々と領主が替わり、関ヶ原の戦いでは白石城(白石市益岡町)をめぐり上杉氏と伊達氏との間に攻防戦が繰り広げられ、片倉氏の活躍などで城は伊達氏側が陥落させます。
江戸時代に入ると伊達領となり、白石市周辺が領土の南端に位置する事から最重要拠点とされ、当初は石川氏、後に片倉氏などの重臣を配します。一国一城令が出された後も白石城は城として存続し、片倉氏の良政などにより城下町として大きく発展しました。
戊辰戦争の際では白石で奥羽越列藩同盟が結ばれ、薩長軍と対しますが敗退し、伊達藩は大きく領土を削られた為、多くの武士が禄を追われ北海道に開拓に従事することになります。
現在の白石市には旧武家町には旧小関家住宅、奥州街道沿いある旧商人町には壽丸屋敷など町屋が残り、明治維新後に解体された白石城の城門は当信寺や延命寺に移築されるなど城下町の風情が随所で見られます。
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