白石城

  宮城県:歴史・観光・見所白石市・観光>白石城
仙台領2城
 ・ 仙台城
 ・ 白石城
 ・ 
仙台領21要害
 ・ 亘理城(要害)
 ・ 谷地小屋要害
 ・ 涌谷城(要害)
 ・ 角田城(要害)
 ・ 登米城(要害)
 ・ 水沢城(要害)
 ・ 岩出山城(要害)
 ・ 岩谷堂城(要害)
 ・ 川崎城(要害)
 ・ 船岡城(要害)
 ・ 高清水城(要害)
 ・ 坂元城(要害)
 ・ 金ヶ崎城(要害)
 ・ 金山城(要害)
 ・ 上口内城(要害)
 ・ 宮沢城(要害)
 ・ 人首城(要害)
 ・ 岩沼城(要害)
 ・ 佐沼城(要害)
 ・ 不動堂城(要害)
 ・ 平沢城(要害)
 ・ 
仙台領・在所・所
 ・ 村田城(館)
 ・ 千石城(館)
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
 ・ 
白石城・歴史・観光・見所
白石城概要: 模型写真・案内板より白石城は後三年合戦(1083〜1087年)の功によって白石周辺を支配した刈田氏が築城したと伝えられています。鎌倉時代から中世にかけては白石氏が治めていましたが、戦国期になると伊達家に臣従します。天正18年(1590)の行われた豊臣秀吉の奥州仕置きの結果と、その後に発生した葛西大崎一揆の不手際により、伊達家は旧芦名氏領を失った他出羽国内の領地が削減され岩出山城(大崎市岩出山町)に移った為、白石城も、秀吉の家臣で旧芦名氏領を賜った蒲生氏郷の管理下となります。白石城は交通の要衝で四方を山で囲まれている事で重要視され、一族である蒲生郷成によって本格的に縄張りされています。蒲生氏は会津若松城(福島県会津若松市)を居城とする92万石の大大名でしたが、氏郷が死去すると跡を継いだ秀行が幼少で家臣団を抑え切れなった事で宇都宮城(栃木県宇都宮市)12万石に源封され、変わって上杉景勝が120万石で会津に入城します。白石城には家臣である甘糟景継が入り城の修復を行います。慶長5年(1600)に起こった関ヶ原合戦では伊達家が西軍側の上杉軍と敵対する形になった事から、白石城が両軍の攻防となり、片倉家の活躍などがあり、落城します。近世に入ると伊達領となり、領土の南端に位置する事から最重要拠点とされ、一国一城令の中、領内唯一支城が認められています。白石城は当初は石川氏が入るなど、伊達家中でも重臣が配置され、慶長7年(1602)以降は片倉小十郎景綱が城を預ると代々片倉家が城主となります。幕末から明治初頭には戊辰戦争の舞台ともなり奥羽25藩と北越6藩が白石城に集まり、「奥羽越列藩同盟」を結びました。戊辰戦争は朝廷側の勝利に終わり、片倉家と家臣の多くが北海道に移住する事になります。明治初頭には白石城も廃城となり、多くの建物が解体されましたが、東口門は当信寺山門に、厩口門が延命寺山門に、城門(どこか不明)が耕徳寺山門に、煙硝蔵が個人宅にそれぞれ払い下げとなり現存しています。
  スポンサーリンク
 
白石城
天守閣
[ 付近地図: 宮城県白石市 ]・[ 白石市:歴史・観光・見所 ]
石垣 井戸・大手門一ノ門 大手門二ノ門 二の丸
天守閣 本丸 裏御門 本丸土塁
大手門二ノ門 太鼓櫓 石垣・土塀 白石城
宮城県:歴史・観光・見所(ホーム)

 宮城県町並み・歴史建築見所ナビ: 
|大崎市:古川| 大崎市:岩出山| 大崎市:松山| 栗原市:築館| 栗原市:金成| 仙台市| 白石市| 角田市| 刈田郡七ヶ宿町| 柴田郡柴田町| 大河原町|
|村田町| 登米市| 登米町| 松島町観光| 丸森町| 気仙沼市| 岩沼市| 石巻市| 亘理町| 涌谷町| 多賀城市| 名取市| 古民家住宅|
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「宮城県:歴史・観光・見所」は「宮城県の歴史」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−宮城県」、「日本の城下町−東北(二)」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」、「歴史道路報告書」、を参考にさせていただいています。