白石市フィールドワーク: 当信寺

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当信寺
当信寺
[ 付近地図: 宮城県白石市 ]・[ 白石市フィールドワーク ]・[ 宮城県:寺院 ]
当信寺 当信寺 当信寺 当信寺
当信寺概要: 当信寺の創建は慶長2年(1597)に良益上人が開山したのが始まりと伝えられ、本尊は室町時代に作られたという阿弥陀如来像で大阪天王寺より譲り受けたものだそうです。当信寺の山門は白石城の二の丸大手門の2の門だったものを明治の初頭に払い下げられたもので、2層目に「眼象窓」を取り付けたり、狭間などの開口を無くしたりといった改修が見られます。門は3間1戸の櫓門(楼門)で、切妻、瓦葺きで、藩政時代には太鼓櫓を兼用していたようで城内の時を報せていました。又、境内には白石老人(年齢、名前、出身など不明でしたが、身分に関係なく人々から崇敬されていた仙人のような存在)の墓や真田阿梅・大八の墓があります。案内板によれば「元和元年(1615)大坂夏の陣のとき大坂方の名将、真田幸村は落城と自分の最期を覚悟し、智勇兼備を見込んだ敵将片倉重長に阿梅と穴山小助の娘の教育を託した。重長は幸村の遺児、阿梅、阿菖蒲、おかね、大八たちを白石城の二の丸で密かに教養し、阿梅は重長の後妻に、阿菖蒲は田村定広の妻に、おかねは早世、大八は片倉四郎兵衛守信と名のり伊達家に召抱えられた。阿梅と大八守信の墓はこの当信寺に阿菖蒲の墓は蔵本勝坂の田村家墓地にある。片倉重長は、真田幸村夫妻の菩提を弔うため大平森合に月心院を建立した。」とあります。
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