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船岡城跡概要: 船岡城は正治2年(1200)に芝田次郎が源頼家家臣宮城四郎家業に攻められたと「吾妻鏡」に記されている事からも、それ以前からあったと思われます。四保氏、屋代氏と館主が代わり、近世に入ると伊達家家老の原田氏が入城します。寛文11年(1671)に起きた伊達騒動の首謀者の1人とされた原田甲斐は伊達家家臣に惨殺され改易。代わって柴田氏が領主となり明治維新まで続きます。中世は要害堅固な山城でしたが近世に入ると一国一城令が出され船岡城も要害と呼ばれる事になります。城としての機能も薄れ、山頂付近の本丸、二の丸はほとんど使用されず、城下町に近い三の丸に領主の居館や政庁が移される事になります。明治初頭には廃城となり多くの建物が壊され、現在では三の丸に残る土塁や古井戸、枡形だった詰の門の坂の形状のみが当時の城郭の歴史を感じる事が出来、伊達騒動を題材とした「樅の木は残った」のモチーフとなった樅の木も城郭の一角に残されています。現在は船岡城趾公園として整備され、山頂には船岡観音や原田甲斐の慰霊碑などあり、桜の名所となっています。
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船岡城 |
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| [ 付近地図: 宮城県柴田郡柴田町 ]・[ 柴田郡柴田町:歴史・観光・見所 ] |
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