登米市 :横山不動尊(大徳寺)

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概要・歴史・観光・見所
横山不動尊(大徳寺)概要: 横山不動尊は案内板によると「当邑鎮守大聖不動明王は、日本三不動の1つに称され、本堂内に祀られた御本尊は弘法大師の御作であります。凡そ今を去る800有余年前、77代後白河帝の保元元年(1156)百済国(現韓国)より志津川湾水戸辺浜に着岸、西條重信と称する供護の従士、霊感により当邑横山中森山中央に一宇を建立し、尊像を安置し給うたと言われます。中の森山とは、本堂裏の山林で現在内より600メートル余の山上の奥の院と称される所です。当時は真言の道場で明王山金剛寺と称していましたが、永正元年(1504)当邑館主男沢蔵人公が改めて禅刹(曹洞)とし、白魚山大徳寺と呼称し自らも厚く信仰をされました。天正18年(1590)葛西左京太夫晴信公が山麓に本堂を遷されて深く信仰いたしました。貞享2年(1680)仙台城主伊達綱村公、高堂5段4面の本堂を御再営され、供養了として地行高武貫文並びに宝物等の御寄附があり、代々御墨付きを頂戴し、伊達家の祈願所として栄えました。大正15年(1928)3月、附近の民家より発生の火災が忽ち延焼し本堂は焼失してしまいましたが、幸にして御本尊は災禍を免れることができました。現在の堂宇は昭和3年(1928)5月7日再建完成されました。保元の御代より昭和の現代まで800有余年、法燈連綿として栄え、霊験あらたかなる庶民の守り本尊として厚い信仰を受けております。」とあります。

正面の鳥居を潜りった後に楼門(入母屋、銅板葺、正面軒唐破風、三間一戸、八脚楼門、上層部花頭窓付)形式の山門があるなど神仏混合の配置を現在でも受け継いでます。横山不動尊の本尊である木造不動明王坐像は平安時代に彫刻されたもので、桂材、寄木造り、像高275.0cm、不動明王の大作として大変貴重な事から平成9年(1997)に国指定重要文化財に指定されています。境内にある青銅五重塔は鉄山策牛和尚(甲州信光寺の僧)の発願、仙台出身の鋳造師、高田定四郎慈延、早山八郎一次が製作し明和3年(1766年)に完成したもので五重仏塔形、基座166.7cm、相輪上端まで354.5cm、総高536.4cm、昭和32年(1957)に宮城県指定重要文化財に指定されています(銘は明和2年:1765年、製作までは10年の歳月)。本堂前にある池に群生する「うぐい」は昭和10年(1935)に国指定天然記念物に指定されています。現在の不動堂は大正15年(1927)に焼失後の昭和3年(1928)に造営したもので、木造平屋建て、宝形造、銅板葺、正面千鳥破風、桁行4間、張間4間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、棟梁は気仙大工花輪喜久蔵、彫刻は石井寅正がそれぞれ担当しています。大徳寺の宗派は曹洞宗、本尊は釈迦牟尼佛。

横山不動尊(大徳寺):写真

横山不動尊(大徳寺)
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