山本町: 坂元神社(蓑首城)

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概要・歴史・観光・見所
坂元神社(蓑首城)概要: 坂元神社は宮城県亘理郡山元町坂元字舘下に鎮座している神社です。坂元神社は旧坂元要害(蓑首城)の本丸跡に鎮座しています。隣接する相馬藩は妙見信仰が盛んな地域で戦国末期には坂元周辺は何度か相馬領になった事もあるので何か関係があるかも知れません。又、元亀3年(1572)に蓑首城を築城した坂本三河俊久は千葉常胤の三男・武石胤盛の後裔である亘理氏の庶流で、亘理氏も相馬氏と同様に妙見菩薩を信仰していた事から、俊久が蓑首城を築城した際に、坂本家が信仰していた妙見宮を創建したとも考えられます。実際、天正19年(1591)、主家である亘理重宗が伊達政宗の岩出山城(宮城県大崎市岩出山)移封に伴い、涌谷城(宮城県涌谷町)に遷った際、隆俊の跡を継いだ坂本定俊も随行し新たな領地となった宮城県遠田郡南郷町木間に妙見堂(現在の木間塚神明社)を創建しています。

木間塚神明社の由緒には貞和4年(1348)に坂本家の祖が亘理郡坂元郷五百余町を与えられた際に領内に妙見宮を創建したと記されている為、南北朝時代まで遡るかも知れません。坂本氏が当地を去った後も坂元要害(蓑首城)の歴代領主から崇敬庇護され領内の中心的な神社として信仰されました。古くから神仏習合し別当寺院である金蔵寺が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治2年(1869)に北辰神社と改名し、明治42年(1919)に神明社を始め周辺の神社8社と合祀し現在の社号である坂元神社に改め村社に列し、昭和8年(1933)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。

坂元神社拝殿は大正8年(1919)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝木鼻には獅子、欄間には鳳凰と霊樹の精緻な彫刻が施されています。本殿は天正年間(1573〜1593年)に造営されたもので、一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り。4月に行われる例祭の御輿渡御は妙見宮時代から続けられているもので神社付属法印神楽が奉納されます。祭神:天御中主神。

坂元神社(蓑首城):写真

坂元神社参道に設けられた石鳥居と朱色の燈篭
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坂元神社拝殿と神輿堂 坂元神社拝殿正面とその前に置かれた石造狛犬と石燈篭 坂元神社本殿と幣殿 坂元神社神輿堂右斜め前方の画像


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