緒絶の橋(大崎市古川)概要: 緒絶の橋は平安時代、男女の もつれで都から追われ、この地で身投げしたという伝説があります。そのような故事から古来有名な歌枕「緒絶の橋」であると言われ、初期万葉の時代から「白玉之緒絶者信」と詠まれていました。中古三十六歌仙の1人藤原道雅は「みちのくの をだえの橋や これならむ ふみみふまずみ 心まどはす」と伊勢の斎宮当子内親王に歌を送った事から、勅撰和歌集に選ばれ、緒絶の橋は第一級の歌枕として認識されていきました。江戸時代の俳聖松尾芭蕉は奥の細道の際、緒絶の橋を訪れる事はできなかったものの「平和泉と心ざし、あねはの松、緒だえの橋など聞伝て、人跡希に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出。」と思いを記しています。
緒絶の橋:上空画像
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-古川市教育委員会
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