達磨堂(松島町)概要: 達磨堂は案内板によると「松島という地名発祥の伝承に達磨大師が来て聖徳太子の成長を待った、とあり、「待つ島」が「松島」になったと伝える。幕末に著された「奥州名所図会」に拠れば、元禄8年(1695)瑞巌寺鵬雲東摶禅師が堂を造営し、中央に聖徳太子、左に緋衣の達磨像を、右に鵬雲像を安置したと記す。達磨像は鵬雲が本山妙心寺住持として上洛の折、男山八幡宮麓に安置の達磨像に感動、仏工に模刻せしめたものと伝えるが現存しない。平成13年、鵬雲の没後300年を記念し、堂の基壇・屋根等を修理した環境を整え、中国河南省熊耳山麓・空廂寺(達磨大師の塔所)から将来した魏元像 元年十色寿庵建立・宗還修復銘の達磨像を復刻して、14年10月20日 再落慶法要を厳修した。 瑞巌寺建立」とあります。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-瑞巌寺
・ 現地案内板-松島町教育委員会
|
|