気仙沼市: 補陀寺(六角堂)

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概要・歴史・観光・見所

補陀寺(気仙沼市・六角堂)概要: 白華山補陀寺は宮城県気仙沼市古町2丁目に境内を構える曹洞宗の寺院です。補陀寺の創建は不詳ですが、伝承によると平安時代の寛永2年(890)に開かれたのが始まりと伝えられています。奥州藤原氏の庇護になっていたようで、文治5年(1189)に発生した奥州合戦で藤原氏が滅ぶと衰微しました。

当初は天台宗の寺院で、補陀落寺と号していましたが、室町時代の文亀元年(1501)に当地の領主である熊谷直元が虚窓良巴禅師を招き曹洞宗に改宗し寺号を「補陀寺」に改め、天文3年(1534)周庵文懊和尚(宝亀寺6世)により赤坂小沢田から現在地に境内を移し中興開山しています。

補陀寺六角堂は案内板によると「堂は平面六角形で八角堂を通例とする和様円堂としては極めて珍しい。用材は主として杉で1辺(角)の長さは2.69m高さは地盤から宝珠上端まで8.26mである。外側には幅93pの勾欄付廻縁があり、取付には床束を用いず柱から押肘木をもってけているところに特徴がある。屋根は六角錘形で瓦葺(もとはこけら葺や銅板葺)である。外部は朱塗、板壁と扉に白胡粉塗りの1部がある。天井は板張りで竜の墨絵が描かれている。堂内に須弥壇と入母屋造で千鳥破風、軒唐破風をつけたこけら葺の家形厨子がある。厨子内には恵心僧都と伝える如意論観音像を安置する。堂の建立は宝暦12年(1762)で、大工は三日町瀬左ェ門、享和2年(1802)と昭和22年修理が施され、さらに昭和56年に屋根瓦の1部葺替え、腐朽箇所復元勾欄部復元及び内外部全面塗復元工事を実施した。 宮城県教育委員会」とあります。

補陀寺六角堂は江戸時代中期の御堂建築の遺構としての遺構で技術的に優れ貴重な事から昭和44年(1969)に宮城県指定有形文化財に指定されています。

補陀寺境内に生える樅の大木は推定樹齢500年、樹高28m、幹周4.73m、市内を代表する古木として貴重な事から気仙沼市指定天然記念物に指定されています。

補陀寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、正面1間入母屋軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、花頭窓付、唐破風懸魚、向拝木鼻には龍や獅子、象などの精緻な彫刻が施されています。山門は切妻、瓦葺き、一間一戸、薬医門。

奥州三十三観音霊場第30番札所(札所本尊:如意輪観世音菩薩・御詠歌:あつまぢや かかれるつみと ふたらくの てらいにすめる 月よこころよ)。山号:白華山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。

補陀寺:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典4[宮城県]-株式会社人文
・ 現地案内板-宮城県教育委員会・角田市教育委員会


補陀寺:ストリートビュー

補陀寺(六角堂):写真

補陀寺
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